谷地八幡宮(読み)ヤチハチマングウ

デジタル大辞泉 「谷地八幡宮」の意味・読み・例文・類語

やち‐はちまんぐう【谷地八幡宮】

山形県西村山郡河北町にある神社祭神応神天皇。寛治5年(1091)源義家石清水いわしみず八幡宮分霊勧請かんじょうして創建したという。

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精選版 日本国語大辞典 「谷地八幡宮」の意味・読み・例文・類語

やち‐はちまんぐう【谷地八幡宮】

  1. 山形県西村山郡河北町谷地にある神社。旧県社。祭神は応神天皇。寛治五年(一〇九一)、源義家が石清水八幡宮勧請(かんじょう)。もと白鳥(村山市白鳥)の地にあったが、谷地城築造のとき現在地に遷座。林家舞楽(国重要無形民俗文化財)を伝える。

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日本歴史地名大系 「谷地八幡宮」の解説

谷地八幡宮
やちはちまんぐう

[現在地名]河北町谷地

大町おおまち村の中央にあり、祭神応神天皇。旧県社。縁起によると、寛治五年(一〇九一)源義家が、清原武衡・家衡平定後、白鳥しろとり(現村山市)に勧請し、天正年間(一五七三―九二)谷地やち城主白鳥長久が、白鳥村みやしたから遷座再興したという。しかし中条長政らが北寒河江きたさがえ八幡に寄進した永享四年(一四三二)六月二四日の鳥海・月山両所神社鐘銘写(河北町の歴史)に「村山郡北寒河江八幡宮」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷地八幡宮」の意味・わかりやすい解説

谷地八幡宮
やちはちまんぐう

山形県西村山郡河北(かほく)町谷地に鎮座。応神(おうじん)天皇を祀(まつ)る。1091年(寛治5)源義家(よしいえ)が白鳥(しろとり)村(現村山市)に勧請(かんじょう)、天正(てんしょう)年間(1573~92)現在地に遷座したと伝える。古来衆庶信仰を集め、1649年(慶安2)幕府より神田十七石六斗の朱印を受けた。旧県社。例祭は9月15日を中心に14~20日。このおり演じられる谷地舞楽は当社祠官(しかん)林家(はやしけ)に代々伝わるもので国の重要無形民俗文化財に指定されている。

[高橋美由紀]


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