日本歴史地名大系 「谷村城跡」の解説
谷村城跡
やむらじようあと
桂川右岸にあった城。天和三年―元禄五年(一六八三―九二)頃の谷村城下絵図(浅野文庫蔵)や宝永二年(一七〇五)の谷村城下絵図(横山脩治家蔵)によると、城地は現在の都留市役所ないし谷村第一小学校付近と推定されるが、築城時期・築城者・遺構などは未詳。天文元年(一五三二)小山田越中守信有は居館を
〔谷村藩以前〕
天正一〇年末から同一八年まで徳川家康の家臣鳥居元忠が都留一郡を与えられ、同一一年には郡主との立場を徳川氏から公認され、同一二年から実質を伴う支配を展開したと推察される(山中湖村史)。ただし当時の政治状況からみて、鳥居元忠の支配は
文禄二年加藤光泰の跡を継いだ浅野長政・長継(幸長)の時代には、重臣浅野氏重が谷村に配置され、郡内を支配した。浅野氏は同三年三月四日に支配方針の覚を出している(「浅野長政・長継連署条目」浅野家文書)。同覚では九筋のうち一筋ごとに三人の奉行を置くという複数による在地支配方針が打出されているが、郡内領は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報