フランスの作家バルザックの長編小説。1836年刊。虚弱で肉親の愛を知らない青年フェリックスが、舞踏会で思わず美しい肩に接吻(せっぷん)してしまった貴夫人に再会し、アンドル川の谷間のその城館に足しげく通って熱烈な求愛を続けるが、相手のモルソフ夫人は貞潔な母性的愛情でしかこたえず、彼に出世の便宜を図ってやり、社交界での処世術を教えてパリへ送り出す。彼女が危篤(きとく)との報に接して戻った彼は、初めて彼女の告白を聞き、いかに彼女が彼を愛し、欲望と嫉妬(しっと)に苦しんでいたかを知るという悲恋物語である。美しいロアール地方の自然描写と「白百合」のようなモルソフ夫人の清楚(せいそ)さがみごとに調和して、一種象徴的な哀(かな)しみをたたえている。ただし、この物語は後年、功成り名遂げたフェリックスが別の女性に宛(あ)てて書いた恋文のなかで語られるという二重構造をもっていて、バルザックの飽くなき実験精神を証している。
[平岡篤頼]
『宮崎嶺雄訳『谷間の百合』全二冊(岩波文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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