豆本(読み)マメホン

デジタル大辞泉 「豆本」の意味・読み・例文・類語

まめ‐ほん【豆本】

きわめて小型の本の総称外国では、好事家に珍重される。聖書などに多く、日本では江戸時代芥子本けしぼん袖珍本しゅうちんぼんなど。

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精選版 日本国語大辞典 「豆本」の意味・読み・例文・類語

まめ‐ほん【豆本】

  1. 〘 名詞 〙 きわめて小型の本の総称。趣味的に作られるものが多く、好事家の間で珍重される。〔現代新語辞典(1919)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆本」の意味・わかりやすい解説

豆本
まめほん

きわめて小型の本。欧米ではミニアチュア・ブックminiature bookまたはビジュー・ブックbijou bookとよぶ。厳格な規定があるわけではなく、日本ではだいたい縦10センチメートル・横6センチメートル(A7判)以下のものをいい、欧米ではだいたい縦6センチメートル以下のものをよんでいる。これに対し、豆本というからには縦4センチメートル以下にするべきだという意見もある。

[今井田勲・八木福次郎]

日本の豆本

日本における豆本の発生は、遠く江戸時代にさかのぼり、おおかたは婦女子向きにつくられたもので、木版印刷が多く、幕末・明治初期には銅版印刷のものもあった。当時は芥子(けし)本、雛(ひな)本ともよばれていた。

 第二次世界大戦前にも一部の人の間で豆本がつくられてはいたが、今日の隆盛をみるに至ったきっかけは、戦後の1953年(昭和28)札幌で創刊された『ゑぞ・まめほん』にある。主宰者佐藤与四郎は小樽(おたる)新聞社の出身で、編集、印刷に精通し、『武井武雄刊本作品』(当時は武井豆本とよばれていた)の会員と図り、縦9センチメートル・横7センチメートルの瀟洒(しょうしゃ)な豆本を年4回刊行した。戦後、書物に飢えを感じていたおりから、豆本らしい豆本の誕生は愛書家の垂涎(すいぜん)の的となり、これに触発されて全国各地でその地方名などを冠した豆本が続出した。

 豆本の版元は愛書趣味の人が多く、1、2の例外を除いて、これを本業としている人はいない。つまり営利出版でないところに豆本の楽しさがあるといえる。ほとんどが会員制をとっており、年会費を先払いしておけば、年に数回豆本が送られてくる仕組みになっている。会員は300人程度が普通で、なかには100人限定というところもあれば、700人を超えているところもある。

 会員になれない人のために、豆本を扱う専門店もできている。版元が会員数のほかに自家版として余分に製作したものを回してもらったり、随時に刊行される単行豆本を扱っている。また東京には西洋豆本のみを扱う専門店もできている。『古通豆本』(東京都千代田区・日本古書通信社)刊行の『現代豆本書目』によれば、1981年(昭和56)8月までに定期的に発行された会員制豆本(シリーズ豆本)の版元は60を超えていた(81年以降の調査は行われていない)。

 すでに終刊または休刊となった著名なシリーズ豆本には『ゑぞ・まめほん』のほか、『えちぜん豆本』(福井県・青木隆)、『風流豆本』(東京都・岩佐東一郎)、『あかし豆本』(兵庫県・らんぷの会)、『九州豆本』(大分県・水谷護(まもる))、『名古屋豆本』(愛知県・亀山巌(いわお))、『みちのく豆本』(山形県・佐藤公太郎)、『田奈部豆本』(和歌山県・吉田弥左衛門)などがある。

[今井田勲・八木福次郎]

世界の豆本

欧米でも豆本の出版や収集が盛んである。ヨーロッパでは16世紀ごろから豆本が流行し、内容は主として聖書のダイジェストであった。17世紀になるとシェークスピアの作品がそれにかわる。造本上からいっても活字の画数からいっても洋装本のほうが豆本向きである。イギリス、フランス、ドイツ、それにハンガリーとロシアでの刊行が盛んである。

 星野麻夫(びじゅぶっく・ほしの)が1980年6月に刊行した1.4ミリメートル平方の『蟻(あり)』は、若山牧水(ぼくすい)の童謡「蟻」と「汽車」を20ページに収録している。世界最小豆本としてギネス・ブックに登載されたが、1985年3月にスコットランドのグレニファープレス社から『オールド・キング・コール』という1ミリメートル平方の豆本が出版されて世界最小の座を降りた。

[今井田勲・八木福次郎]

『今井田勲著『私の稀覯本 豆本とその周辺』(1976・丸ノ内出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「豆本」の意味・わかりやすい解説

豆本 (まめほん)

きわめて小型に製作された本で,英語のmidget book,miniature bookにあたるが,bibelot,bijou book,dwarf book,liliput editionなどと多くの愛称がある。愛書趣味的な本が多い。日本でも〈豆本〉のほか中国渡来の巾箱(きんそう)本,袖珍(しゆうちん)本,寸珍本などの呼称があり,江戸時代の雛(ひな)本,芥子(けし)本などの称がある。どれほどの大きさのものを指すかについてはかなり幅があり,たとえば袖珍本は〈袖に入れて持ち歩ける本〉ということで,英語のpocket book(ポケット判)にあたり,文庫本,新書判はこれに該当する。したがって,洋の東西で〈豆本〉の大きさを定める説がある。西洋では天地が10cm以下のものをいうが,これは1927年にヘンダーソンJames D.Hendersonの首唱で天地4インチ(10.16cm)までのものを指すと制限したことによる。ただし2インチ(5.08cm)以内とすべきだという主張もあった。日本でも小池藤五郎が江戸時代の豆本を分類するにあたり,小(こ)本の半截(半分の大きさ,13cm×9.5cm)以下,半截ごとに7段階に分かち,最小型を〈芥子本〉(1.6cm×1.5cm)とした。小本は美濃判の半截であるから,芥子本は美濃判の512分の1ということになる。

 西洋で早い例としては,イギリスのアン女王(18世紀)は人形の家に200冊の豆本を並べていた。このころすでにクルミの殻に収まる聖書が印刷されている。中国では南斉の衡陽王(こうようおう)(6世紀)は蚤頭大の文字で書いた五経を持っていたという。印刷では南宋のころ(12世紀)に,五経や学典類を天地13cmの本に印刷し,これを巾箱本といった。漢字は微小な刻字が難しいため,19世紀に石版術が入ってようやく上海で天地7cm以下の豆本が作られている。

 日本では江戸時代,18世紀初めから豆本を印刷しており,ことに文化・文政(1804-30)のころに盛んであった。《寸珍源氏物語》(文政末)は4cm×3cmに五十四帖全部を収めた。明治に入ってからは,銅版や石版の絵本の豆本が盛んに作られ,西洋式装丁のものでは昭和初期に《ルビー双書》(吉屋信子監修,万有社刊)は革装の良いできばえであった。第2次大戦後,豆本製作が盛んになって《えぞまめ本》(1953)をはじめ地方色豊かな豆本も各地で作られるようになった。また,武井武雄刊行書,棟方志功の版画豆本などはその独自性で知られている。東京の《こつう豆本》は充実した内容,凝った装丁で知られる。

 現代では印刷技術の進歩により,驚くほど小さな豆本も作られるようになった。ロンドンのマッケンジーは,聖書を66ヵ国語に翻訳して,各10冊,合計660冊を4インチ×6インチ(高さ5.9mm)の箱に収めた。日本の凸版印刷(株)も,百人一首を3.5mm角の大きさに印刷した。これは最新電子技術によって最微小印刷を試したものであったが,豆本の手作りの印刷と装丁を楽しむことは別である。
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図書館情報学用語辞典 第5版 「豆本」の解説

豆本

小形の本の総称.寸珍本,芥子本ともいう.日本では半紙本(半紙二つ折りの大きさ)の半分以下の大きさの本を小本(こほん)という.豆本は,小本の半分以下のものを指す.江戸時代から豆本は元来雛道具のためにできたものが多いので,豆本の中でも特に小さいものを「雛豆本」と称する.現存最古の雛豆本は1723(享保8),1724(享保9)年刊の赤豆本であるといわれる.豆本は愛好者によって趣味的に発行されるものが多い.洋書では100mm以下のものを指すことが多いが,和書では定義がはっきりしておらず,おおむね50mm以下を指すようである.

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