豆腐町(読み)とうふまち

日本歴史地名大系 「豆腐町」の解説

豆腐町
とうふまち

[現在地名]七尾市生駒町いこまちよう

御祓みそぎ川の河口西岸に沿う町。南は通りを挟んで味噌屋みそや町、西は南から北へ同町・一本杉いつぽんすぎ町・阿良あら町・こん町・たけ町に接し、北は通りを挟んで所口町と小島こじま村入会地。御祓川を渡って内浦街道が横断する(所口地図)。元和二年(一六一六)の所之口町絵図に「とうふ町どをり」とみえ、海岸に「伊勢北御門御神明屋敷」がある。延享二年(一七四五)の浦役銀二二三匁余・伝馬銀一三四匁余・出分地子二八匁余・人足銀一三〇目余(「御代覚書」税務大学校所蔵文書)


豆腐町
とうふまち

[現在地名]姫路市豆腐町・西駅前町にしえきまえちよう

飾東しきとう郡に所属。姫路城南西の外堀のすぐ南、飾磨門(飾磨口)の南に位置する南北の町筋。外豆腐そととうふ町として飾万津しかまつ町二〇町に含まれ、飾万津の町奉行の管轄とされていた。中世南畝のうねん村の内で、町の形成過程はたに町と同じ。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)姫路城下侍屋敷新絵図には外堀の南は描かれていないが、飾磨門の北に内豆腐うちとうふ町がみえることから、外豆腐町の存在を推測することができる。元禄八年(一六九五)写の姫路城図には「とうふ丁」がみえるが、同一七年の姫路城城下町数飾万津町数覚(伊藤家文書)に外豆腐町と内豆腐町が記される。


豆腐町
とうふまち

[現在地名]鳥取市片原かたはら四丁目・本町ほんまち四丁目

鹿野口しかのぐち惣門外南側、片原三丁目から北西に続く両側町。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち下構二〇町の一町として起立された。町名は、池田長吉時代に郭内で豆腐屋を営んでいた五兵衛が池田光政入部後ここに移り住んで御豆腐所の看板を掲げ、藩主御用を勤めたことにちなむという。その後五兵衛は職を改め畳屋を営んだので一名を畳屋たたみや町ともいった(因幡志)。また畳職人が多かったので畳屋町とよばれたともいう(鳥府志)


豆腐町
とうふまち

[現在地名]大和郡山市豆腐町

天正一六年(一五八八)の郡山惣町分日記(春岳院文書)にみえる内町(箱本)一三町の一つ

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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