賞典禄(読み)ショウテンロク

デジタル大辞泉 「賞典禄」の意味・読み・例文・類語

しょうてん‐ろく〔シヤウテン‐〕【賞典×禄】

明治維新の際、倒幕に功績のあった公卿・大名・士族に家禄のほかに賞与として賜った禄。永世禄終身禄年限禄の3種。明治9年(1876)廃止。

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精選版 日本国語大辞典 「賞典禄」の意味・読み・例文・類語

しょうてん‐ろくシャウテン‥【賞典祿】

  1. 〘 名詞 〙 明治維新の際、朝廷から、戦功者および復古の功臣に賜わった秩祿永世祿終身祿、年限祿に分かれていたが、華士族に支給する家祿と合わせると巨額に達して国庫支出を圧迫するに至ったため、政府は明治九年(一八七六)金祿公債証書の下賜に切り換えた。
    1. [初出の実例]「西郷隆盛大村益次郎以下百四名に賞典祿(シャウテンロク)且賞金を賜ふ」(出典:近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房一二)

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改訂新版 世界大百科事典 「賞典禄」の意味・わかりやすい解説

賞典禄 (しょうてんろく)

明治政府が戊辰戦争,函館戦争などの戦功者や維新の〈功臣〉など,討幕派の公卿,諸侯,藩士らに与えた恩賞。倒幕戦争に勝利した政府は,当時の実権者大久保利通木戸孝允らの反対にもかかわらず,討幕諸藩からの要請によって彼らへの恩賞の支給にふみきらざるをえなかった。このため1869年(明治2)の詔書により政府は勲功を調査し,永世禄,終身禄,年限禄などのかたちで恩賞を分賜した。その合計は石高として約100万石,別に金銭として約22万両の巨額に達した。この賞典禄の源泉には,主として旧〈朝敵〉(佐幕方)の東北諸藩から没収した所領があてられた。すなわち,明治維新の実現に貢献した旧討幕方に再分配されたのである。分賜された賞典禄は親王,公卿,諸侯以下の間で格差があり,その下賜の方法も政府より直接支給したもの,あるいは政府より各藩主へ下賜した分のなかから,各藩主が任意に戦功のあった藩士に支給したもの,また各藩で独自に藩士に与えたものなどがあった。たとえば薩長両藩主の島津忠義,毛利元徳にそれぞれ永世禄10万石が下賜されたのを最高に,4万石1人,3万石5人,2万石6人,以下急減して50石9人までと大きな差があった。ちなみに藩士では西郷隆盛の永世禄2000石が最大である。賞典禄は士族に支給する家禄と合わせると国庫支出の1/4~1/3に達し政府財政を圧迫したため,75年課税の対象として扱われることになり,ついで家禄と合して金禄に改められ,さらに76年8月金禄公債証書に変更されて整理された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賞典禄」の意味・わかりやすい解説

賞典禄
しょうてんろく

明治政府が維新の功臣に与えた恩典。討幕派の公家(くげ)、大名、藩士らは王政復古戊辰(ぼしん)戦争の論功行賞を熱望し、旧幕府、佐幕派諸藩および旗本から政府が没収した所領の再配分を望む者も少なくなかった。大久保利通(おおくぼとしみち)、木戸孝允(きどたかよし)らはこれに反対したが、政府は妥協策として、1869年(明治2)6月から、永世、終身、年限の3種の賞典禄および一時賞賜の支給を実施した。その財源は、政府が没収した所領からの年貢である。69年6月2日の戊辰戦功賞典は74万5000石余と21万5000両余、9月4日の箱館(はこだて)戦功賞典は12万石と1万8000両、9月26日の復古功臣賞典は3万5000石余に上った。75年、現米支給の分を現金支給に改めた。しかし、華士族に対し旧来の家禄に加算して支給したため、その金額は国庫歳出の3分の1にも及ぶ巨費に上り、政府財政にとって莫大(ばくだい)な負担となったので、翌76年の金禄公債証書の発行によって廃止された。

[時野谷勝]

『深谷博治著『華士族秩禄処分の研究』(復刊・1944・亜細亜書房)』

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事典 日本の大学ブランド商品 「賞典禄」の解説

賞典禄

飲料(酒類)]
東京農工大学(東京都府中市)の大学ブランド。
農学部附属フィールドサイエンスセンターで収穫された米・麦・芋を原料としたオリジナルブランドの本格焼酎。賞典禄とは、農学部本館手前左側にある大久保利通碑にちなんだ言葉。大久保利通(1830~1878)が明治維新の功労により賞与として賜わった賞典禄(禄2カ年間分)を奨学の資として宛てたというエピソードから、公募によってこの名前が選ばれた。価格は、米・麦・芋セット(米焼酎25度720ml・麦焼酎25度720ml・芋焼酎25度720ml)化粧箱入り5100円、原酒(米)43度720mlで2700円、原酒(麦)43度720mlで2700円(すべて税込)。東京農工大学販売取り扱い。なお、「賞典禄」は、2007(平成19)年10月に商標登録済(第5083193号)。権利者は、国立大学法人東京農工大学。
(注)記載内容は事典編集当時(2010年2月)のものです。内容・価格等はその後に変更になった場合もあります。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「賞典禄」の解説

賞典禄
しょうてんろく

明治初年に戊辰(ぼしん)戦争・王政復古の功労者に支給した禄米。1869年(明治2)から世襲の永世禄,1代限りの終身禄,3年間の年限禄が,現米で合計90万石支給された。藩主がうけた賞典禄を,さらに藩士に分割支給した分与禄もあった。廃藩置県後も給与したが,財政負担軽減のため,73年に家禄とともに奉還の対象となり,75年に家禄と合算して家禄税を賦課。同年に石代相場で換算し現金支給(金禄)としたうえで,76年に金禄公債の発行により廃止された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賞典禄」の意味・わかりやすい解説

賞典禄
しょうてんろく

明治維新の功臣に政府から与えられた封禄。明治2 (1869) 年6月,箱館戦争 (→五稜郭の戦い ) の終結後,公家,大名,武士,兵隊などに及んで,永世禄,終身禄,年限禄の3種に分けて下賜された。 1876年金禄公債条例の発行に伴い打切られた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「賞典禄」の解説

賞典禄
しょうてんろく

王政復古に功労のあった者に対して行われた論功行賞
1869年,政府は没収した幕府その他の領地からの年貢を財源として実施。永世禄・終身禄・年限禄の3種があり,それぞれ現米で支給された。'76年金禄公債発行により廃止。

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