明治政府が戊辰戦争,函館戦争などの戦功者や維新の〈功臣〉など,討幕派の公卿,諸侯,藩士らに与えた恩賞。倒幕戦争に勝利した政府は,当時の実権者大久保利通,木戸孝允らの反対にもかかわらず,討幕諸藩からの要請によって彼らへの恩賞の支給にふみきらざるをえなかった。このため1869年(明治2)の詔書により政府は勲功を調査し,永世禄,終身禄,年限禄などのかたちで恩賞を分賜した。その合計は石高として約100万石,別に金銭として約22万両の巨額に達した。この賞典禄の源泉には,主として旧〈朝敵〉(佐幕方)の東北諸藩から没収した所領があてられた。すなわち,明治維新の実現に貢献した旧討幕方に再分配されたのである。分賜された賞典禄は親王,公卿,諸侯以下の間で格差があり,その下賜の方法も政府より直接支給したもの,あるいは政府より各藩主へ下賜した分のなかから,各藩主が任意に戦功のあった藩士に支給したもの,また各藩で独自に藩士に与えたものなどがあった。たとえば薩長両藩主の島津忠義,毛利元徳にそれぞれ永世禄10万石が下賜されたのを最高に,4万石1人,3万石5人,2万石6人,以下急減して50石9人までと大きな差があった。ちなみに藩士では西郷隆盛の永世禄2000石が最大である。賞典禄は士族に支給する家禄と合わせると国庫支出の1/4~1/3に達し政府財政を圧迫したため,75年課税の対象として扱われることになり,ついで家禄と合して金禄に改められ,さらに76年8月金禄公債証書に変更されて整理された。
執筆者:石塚 裕道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治政府が維新の功臣に与えた恩典。討幕派の公家(くげ)、大名、藩士らは王政復古、戊辰(ぼしん)戦争の論功行賞を熱望し、旧幕府、佐幕派諸藩および旗本から政府が没収した所領の再配分を望む者も少なくなかった。大久保利通(おおくぼとしみち)、木戸孝允(きどたかよし)らはこれに反対したが、政府は妥協策として、1869年(明治2)6月から、永世、終身、年限の3種の賞典禄および一時賞賜の支給を実施した。その財源は、政府が没収した所領からの年貢である。69年6月2日の戊辰戦功賞典は74万5000石余と21万5000両余、9月4日の箱館(はこだて)戦功賞典は12万石と1万8000両、9月26日の復古功臣賞典は3万5000石余に上った。75年、現米支給の分を現金支給に改めた。しかし、華士族に対し旧来の家禄に加算して支給したため、その金額は国庫歳出の3分の1にも及ぶ巨費に上り、政府財政にとって莫大(ばくだい)な負担となったので、翌76年の金禄公債証書の発行によって廃止された。
[時野谷勝]
『深谷博治著『華士族秩禄処分の研究』(復刊・1944・亜細亜書房)』
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明治初年に戊辰(ぼしん)戦争・王政復古の功労者に支給した禄米。1869年(明治2)から世襲の永世禄,1代限りの終身禄,3年間の年限禄が,現米で合計90万石支給された。藩主がうけた賞典禄を,さらに藩士に分割支給した分与禄もあった。廃藩置県後も給与したが,財政負担軽減のため,73年に家禄とともに奉還の対象となり,75年に家禄と合算して家禄税を賦課。同年に石代相場で換算し現金支給(金禄)としたうえで,76年に金禄公債の発行により廃止された。
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