赤井川村(読み)あかいがわむら

日本歴史地名大系 「赤井川村」の解説

赤井川村
あかいがわむら

面積:二八〇・一一平方キロ

明治三二年(一八九九)大江おおえ(現仁木町)から分立して成立。後志支庁管内の北東部にある余市よいち郡の村。小樽市の南西にあり、北は余市町、北から西にかけては余市郡仁木にき町、南西は虻田あぶた倶知安くつちやん町、南は同郡京極きようごく町、東は札幌市南区と接する。西部に大黒だいこく(七二四・八メートル)、北部は大登おおのぼり(五六五メートル)、東部に阿女鱒あめます(一〇一四・四メートル)余市岳(一四八八・一メートル)朝里あさり(一二八〇・八メートル)、南部に本倶登ぽんくと(一〇〇九・四メートル)などがそびえ、白井しらい川・小樽川・赤井川などを合流して余市川が西流する。国道三九三号は毛無けなし峠を越えて小樽方面に通じる。

村成立以前の当地域一帯は、明治二年八月の国郡画定に伴い余市郡に所属するが、大江村内の原野であった。山川地理取調図や板本「西蝦夷日誌」では余市川上流筋にシュマウシヘツ、クートシュマ、ハンケムイ、ヘンケムイ、ホリカイヨチなどが記され、明治二〇年代の輯製二十万分一図ではハンケムイの北に滝沢とある。明治一〇年明治めいじ鉱山が発見され、同一五年山口県人粟屋貞一が開拓地適所を求めて赤井川地区を探検、同二一年には長谷川友次郎が出願なく当地に入地している。同二六年一二月余市郡の林長左衛門と網元ら二七人による赤井川開墾組合が赤井川に一千一〇〇万坪の地の払下げを出願、同二七年一月に二〇一万坪余が許可されて開拓に着手した(赤井川開墾組合関係資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤井川村」の意味・わかりやすい解説

赤井川〔村〕
あかいがわ

北海道西部,小樽市の南西にある村。地名はアイヌ語フレペツ (赤い川の意) に由来。 1893年入植開始。米作と,ジャガイモ,ダイコン,スイカメロンイチゴなどの栽培が行われる。国道 393号線が通り,小樽市に通じる。面積 280.09km2。人口 1165(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「赤井川村」の解説

赤井川村

(北海道余市郡赤井川村)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
赤井川村は北海道の南西部に位置する。総面積は280.11k【m2】で、その8割が山林で占められる。北海道内でも有数の豪雪地帯。主産業は農業と観光

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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