代表的な和紙産地である福井県越前市の旧今立町で産する手すき和紙の総称。奈良時代の正倉院文書や平安時代の延喜式によれば,古代の越前国は有力な産紙国の一つであった。しかし,代表的な産地にまで発展するのは,中世に優れた奉書紙をすくようになってからと思われる。越前奉書がはじめて文献にあらわれるのは,興福寺の大乗院尋憲の《尋憲記》の元亀4年(1573)のくだりで,越前にて奉書かみを購入したとある。奉書紙は武家社会を代表する紙ともいえ,各地ですかれたが,江戸時代の《紙譜》(1777)など諸書が物語るように,越前の岩本,大滝,新在家,定友,不老(おいず)の5ヵ村ですき出す越前奉書は日本一と評価された。越前では奉書紙,檀紙,杉原紙などの楮(こうぞ)紙のほか,鳥の子紙,間似合紙,薄様などの雁皮紙,あるいは内曇,すき模様紙などの装飾的な紙をすいており,幅広い技巧をもっていた。その高い技術を見込まれて,各藩の御用紙や藩札などをすき出した。明治以後,新たに雅邦紙(がほうし)などの日本画用紙を開拓し,大画面に応じた3間(約5.5m)四方の巨大な紙や,中絶していた麻紙(まし)の復興など新しい工夫を行った。そのほか襖(ふすま)紙を飾る各種各様のすき模様紙(美術小間紙)の技術を開発したり,ヨーロッパのためすきをとり入れた局紙をすくなどの創意工夫に努めた。現在では,越前奉書,小間紙,襖紙,局紙,画仙紙,しわ入り檀紙などをすいている。1968年に重要無形文化財〈越前奉書〉の保持者に岩野市兵衛が指定されたが,76年に死亡。また76年には,越前和紙は伝統的工芸品に指定されている。
執筆者:柳橋 真
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福井県越前市(越前国、旧岡本村)付近で産出される和紙。この紙の起源には古い伝説が残っており、岡本村の大滝神社の一祭神が美しい乙女となって現れ、村民に紙漉(かみす)きを教えたという。774年(宝亀5)の『正倉院文書』に、すでに越前産紙の名がみられる。室町時代に、岡本村のなかの大滝、岩本、定友、不老(おいず)、新在家の5地区で奉書紙が漉かれ、著名となった。また鳥の子紙や各種工芸紙の生産は、質量ともに現代に至るまで名声を博し、伝統を誇っている。
[町田誠之]
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…福井県中部,今立郡の町。1956年粟田部町が改称の後,岡本村を編入。人口1万4424(1995)。武生(たけふ)盆地の東縁にあり,越前中央山地を刻む鞍谷川とその支流の谷を占める。狭い耕地と冬の積雪から古来農産加工が盛んで,それが現在の機業兼業農家につながり,リボン類の細幅織に特色がある。中心の粟田部は三里山の南縁にあり,古くから付近の商業地であった。その南東の五箇(ごか)は越前和紙で名高い旧岡本村であり,大滝を中心に不老(おいず),岩本,新在家,定友が専業和紙産地を形成している。…
…はじめは手すき紙であったが,のちに機械すきも行われた。現在,越前紙(福井県今立郡今立町)など民間でもすかれている。そのおもな用途は,証券・株券・賞状・辞令用紙などである。…
…名称の由来については,西の内紙の産地でもある茨城県那珂郡鷲子村(現,美和村)に由来するとの説もあるが,多くは未ざらしの雁皮紙が鶏卵の淡黄色に似ているところに由来するという説を採っている。代表的な産地は越前(武生と敦賀,越前紙)と摂津(名塩紙)である。越前の鳥の子紙は,薄様(うすよう),中様(ちゆうよう)などの厚さの違いのほか,内曇(うちぐもり),水玉(みずたま),漉(す)き模様(当時は絵鳥の子などと称した),墨流しなどの装飾をほどこしたり,植物染による各色の色鳥の子紙など,技巧的に優れたものが多かった。…
※「越前紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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