かかと部のない,足の半ばぐらいの短い草履。芯縄(しんなわ)を前緒とするため,わらじと同様,足指が地面に付くので踏んばりが利き,田畑や河川での労働や歩行に用いた。鎌倉時代に草履とわらじからつくり出された。《蒙古襲来絵詞》には,足半を履く武士の姿が描かれており,新しい戦法で押しよせた蒙古軍との戦いに,すべりやすい合戦場で威力を発揮したものと思われる。当時は半物草(はんものぐさ)といった。室町時代の《今川大双紙》(応永年間刊)には〈足なが〉の文字が初見されるが,当時はもっぱら武士が軍陣や戦場で履いた。武士にとって〈足半に礼儀なし〉といわれるほど,上下のへだてなく重要視された。《信長公記》によると1573年(天正1)の刀根山の戦に,織田信長が日ごろ腰につけていた足半を,敵の首をとってきた金松又四郎に下賜したといい,そのときの足半が今に遺存している。長良川の鵜匠が履く足半は三角形で,より多く指が接地するようくふうされている。
執筆者:潮田 鉄雄
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藁草履(わらぞうり)の一種で、足中とも書く。普通の草履に比べて長さが半分であり、芯緒(しんお)を利用して鼻緒を結ぶことが特色である。長さが短いため足の裏に密着するので小石や泥が入らず、今日のスパイク的な役割を果たした。鎌倉時代の絵巻物『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』のなかにすでにみられ、雑兵や一般武士の履き物であった。室町時代、武家故実が盛んに行われるようになると、足半の履き方にも一つの決まりができ、織田信長は足半を履いていれば目通りを許したという。江戸時代に入ると全国の農山漁村で用いられるようになり、なかには長草履の形をしたものを足半という地方もあった。なお、古くは半物草(はんものぐさ)とよばれていたことが仮名草子にみられる。
[遠藤 武]
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…また緒の太い緒太(おぶと)草履,イグサ(藺草)を用いて丈夫に編んだ金剛,台の裏に獣皮をつけ,後世の雪駄(せつた)の源流をなす尻切(しきれ),台の長さが足の長さの2倍もある庶民用で粗末な編み方の下々(げげ),底に別の材料をつけない裏無(うらなし)などがあった。鎌倉時代の蒙古襲来の時,わらじの機能と草履の形をとり入れた,踵(かかと)部のない半円形の足半(あしなか)が関東武士によってつくりだされ,武士のあいだに普及した。当時,草履のことをモノグサ(編み方を略した横着なはきもの)ともいったので,足半はハンモノグサとも呼ばれた。…
※「足半」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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