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中国から伝えられた讖緯(しんい)説のうち,暦により帝王の政治が変わるとの思想にもとづき,辛酉年に天命が革(あらた)まる,帝王が変わるとする説。同様に甲子(かっし)年に政令が革まることを甲子革令(かくれい)という。三善清行(みよしのきよゆき)「革命勘文」は1320年を周期とし,辛酉年(661,斉明天皇7年)から1320年前を神武即位年(西暦の紀元前660年に相当)と考えた。この辛酉革命説により延喜改元(901)が行われ,のち近世末の元治元年(1864)の甲子改元まで,若干の例外を除き,辛酉年・甲子年に改元が行われた。辛酉年改元のために学者から革命勘文が提出された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…(3)は,天変地異,火災,疫癘,干ばつ,洪水,飢饉,兵革などに際して行われる改元であって,923年水害悪疫によって延長と改元したのを初めとして,永祚(彗星),天慶(平将門の乱),貞永(飢饉),文明(兵乱),安永(風水害)等,平安中期以降,中世・近世にもその例ははなはだ多い。(4)は讖緯(しんい)説とよばれる中国輸入の吉凶予言の説によって,901年が辛酉(しんゆう)革命の年に当たるとして延喜と改元し,964年が甲子(かつし)革令の年に当たるとして康保と改元したのを各初例として,辛酉,甲子の年に改元するのが例となった。以上,祥瑞,災異,革命を理由とする改元は,年号のもつ呪力によって招福攘災を期するものとも説かれるけれども,むしろ年号にそのような呪力ありとする国家側の信仰もしくは主張を実体化し定着させようとする一種の政治技術と解すべきであろう。…
…そのうち日本で独自に発達したものや,暦注などに使われて今なお信じられているもののいくつかを紹介してみよう。 (1)辛酉(しんゆう)革命,甲子革命 中国の緯書(いしよ)にみえる予言説。中国よりも日本で信じられ,この年になると改元が行われた。…
…日本では孝徳天皇のときに大化の元号が採用され(A.D.645),それ以後この制度が行われた。中国における改元の理由のほかに,日本では中国の緯書にもとづく辛酉革命,甲子革令の説によって,辛酉および甲子の年に改元することが王朝時代からはじまった。こうして一人の天皇の在位中に数回の改元が行われたが,明治以後は明・清と同じく,一世一元号制が行われるようになった。…
…神功紀,応神紀の紀年は両紀に引用された百済史料《百済記》と同じ干支ながら,120年の差があることから,両紀の紀年が120年(干支2運)くりあげられていることを那珂は論証した(今日,この干支2運くりあげの紀年操作は神功皇后を卑弥呼に擬定するためと理解されている)。さらに那珂はいわゆる神武紀元の設定を讖緯(しんい)説の辛酉革命の考えから説明した。那珂は暦法上の周期として1蔀(ほう)を21元=1260年と算出して,推古9年(601)から1260年さかのぼった辛酉年を神武天皇即位の年と設定したと論じた(1蔀を1320年と算出する説もある)。…
…災異改元は,奈良時代には恵美押勝の乱や凶作などを理由に行われた天平神護の改元(765)の一例があるが,これがしきりに行われるのは水災・疾疫による延長の改元(923)からで,以後地震,暴風,火災,飢饉,兵乱その他災異による改元がしばしば行われ,江戸時代にまで及んでいる。次に辛酉および甲子の年の改元は,901年(昌泰4)の辛酉の年に当たり,讖緯説の辛酉革命,甲子革令の思想に基づき改元の必要を説く文章博士三善清行の意見(意見十二箇条)によりこの年を延喜と改元したのが始まりで,次の辛酉の年961年(天徳5)に応和と改元したのについで,964年(応和4)の甲子の年には康保の改元が行われ,以後若干の例外はあるが,江戸時代の末に至るまで辛酉および甲子の年には改元するのが恒例となった。
[改元の手続]
それでは改元はどのような手続によって行われるであろうか。…
※「辛酉革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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