日本大百科全書(ニッポニカ) 「近親相姦禁忌」の意味・わかりやすい解説
近親相姦禁忌
きんしんそうかんきんき
incest taboo
通常、近い親族間の性的関係を禁じる規則あるいは慣習をいうが、「近親」の範囲は社会によって千差万別であり、顔も知らぬ遠縁の間柄にも適用されている社会も少なくない。
インセストについては人類学史上さまざまな理論が提唱されてきた。そうした理論は、この禁忌が全人類社会に普遍的で同質の規則であるという前提に基づいたうえで、その普遍性を説明しようとしたものである。古代エジプト王朝、インカ帝国、ハワイ王朝などで行われていた王族における兄弟姉妹婚は、単なる例外としてではなく、王族の神聖性を示すための故意の侵犯と解され、逆に禁忌の普遍性の証明として扱われることが多かった。
遺伝的悪影響を避けるためであるという説明はよくなされるが、遺伝学的知識は人類の歴史上ごく最近のものであるし、また遺伝学的には近親交配はとくに不利なものではないということで否定された。二つの相反する本能説が出された。フロイトはインセストを本能的欲求とし、禁忌はそれを抑圧する無意識のメカニズムとした。ラドクリフ・ブラウンは、西欧常識に基づいて、インセストは本能的な拒絶反応を引き起こすから禁じられたと説明した。どちらの説も、マードック同様に、インセストを家族内における親子・兄弟姉妹間の性的関係としてとらえていた(この意味においてのみ、インセストは「近親相姦」と訳せる)。
ウェスターマークは環境説をとり、同じ家屋でいっしょに育つ過程でインセストに対する嫌悪が生じるとした。しかしこれではラドクリフ・ブラウン説同様、規則の起源の説明とはいえない。すでに嫌悪によって回避されるものを改めて禁じる必要がないからである。
レビ(レヴィ)・ストロースはこの禁忌を、普遍的であるがゆえに自然に根ざし、規則であるがゆえに文化に属する唯一の制度ととらえ、それを外婚制と同一視することによって、結婚(女性の交換)を通じて集団間の連帯をつくり、より広い社会を成立させる働きをしたと説明したが、この説も、証拠のうえからも、論理的にも否定された。
こうした「インセスト理論」の存在基盤そのものに疑問を投げたのはリーチである。彼は、北ビルマでは母と息子の性的関係がインセストではなく姦通とされており、トロブリアンド諸島では父と娘の関係が同様に姦通であることを引いて、親子間のインセストの禁止の普遍性を疑った。ニーダムは、インセストに相応する語彙(ごい)の比較と、性的関係を禁止する規則の比較を行って、この禁忌が一つの分析概念としての同質性をもたないことを指摘し、インセストに関する一般理論はありえないと結論した。彼は、女性に対する性的接近に関する多様な規則の総体は社会によって異なり、いわゆるインセストはそのなかの禁止条項の一部にすぎないとしている。この見解は現在のところもっとも妥当なものと思われる。
[濱本 満・長島信弘]
『E・リーチ著、青木保・井上兼行訳『人類学再考』(1976・思索社)』▽『レヴィ・ストロース著、馬淵東一・田島節夫監訳『親族の基本構造』上下(1977・番町書房)』▽『ウェスターマーク著、江守五夫訳『人類婚姻史』(1970・社会思想社)』