出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…歩行に困難な険しい道,または盗賊の出る所などをいったが,近世になると《色道大鏡》(1678ころ)や西鶴の《好色一代男》(1682)その他にみられるように遊里をさすようになり,のちには芝居町をもさすようになった。〈あくしょう〉とも読んで〈悪性〉に通じ,また〈悪所場(あくしよば)〉とか〈悪性所(あくしようどころ)〉ともいった。…
…さらに劇場芸能も浄瑠璃本,狂言本,役者評判記,番付などの多様な出版物を随伴し,それらが提供する情報は劇場に客を呼び寄せることになるとともに,劇場そのものが情報源としての機能を果たす結果ともなった。
[芝居と遊里]
元禄期の文化は,芝居と遊里という都市内部に計画的に設置された施設を拠点として,多くの成果を生み出した。芝居と遊里は近世を通じて絵画や文芸に多くの題材を提供し文化形成の温床となったが,それ自体が独特の文化の表現形態とみなしうるものであった。…
…曾根崎新地は揚屋,遊女屋の営業が中心となり,江戸中期以降大繁盛する。このほか,江戸深川の岡場所であった大(おお)新地,小(こ)新地の繁栄もあったため,新地は公認の遊郭であった江戸の吉原,大坂の新町,京の島原以外の新開地に開かれた遊里(遊郭)の代名詞のように用いられるようにもなった。【玉井 哲雄】。…
…遊郭のことを郭(くるわ)(曲輪とも書く)と呼ぶのは,四辺を塀などで囲んでいたことによる。また遊里とも称したが,この方は私娼街を含めて遊興街一般の意味にも用いた。
[沿革と制度]
厳密な意味における公娼集娼を目的とした遊郭は,豊臣秀吉によって1585年(天正13)に始められ,徳川氏がこの政策を継承して整備していった。…
※「遊里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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