過渡期論(読み)かときろん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「過渡期論」の意味・わかりやすい解説

過渡期論
かときろん

共産主義社会建設過程の性格づけに関する理論

門脇 彰]

マルクスからレーニンへ

マルクスは未来社会の描写についてはきわめて禁欲的であり、近代ブルジョア社会の運動法則を解明する際にいわばその論理的帰結として原則的な諸規定を断片的に残すにとどまったが、パリコミューンの経験を踏まえて書かれた『ゴータ綱領批判』(1875)では、『資本論』第1巻(1867)における労働時間の二重の役割といった規定から一歩踏み出した叙述を行っている。そこでは、「それ自身の土台の上に発展した共産主義社会」に到達するためには、その前段階として「いまようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会」を経過する必要があることが論じられている。このような過渡的段階の共産主義社会は、「経済的にも道徳的にも精神的にも」旧社会の「母斑(ぼはん)」をまだ帯びている。したがって、この段階でもすでに生産手段の共有が実現され、生産者はその生産物を交換しないのであるが、消費手段の分配に関しては、個々の生産者が社会に提供した個人的労働量に応じた分配という形で「ブルジョア的権利」の支配を避けることができない、というのである。

 同じ著作のこれとは別の箇所でマルクスは、「政治上の過渡期」の必要について触れ、「この時期の国家はプロレタリア独裁以外のなにものでもありえない」と書いたが、前述の過渡的段階の共産主義社会との関連が明示されていないので、のちにいくつかの解釈の余地を残すこととなった。

 ロシア十月社会主義革命を目前にして書いた『国家と革命』(1917)第5章においてレーニンは、上記のようなマルクスの2命題を忠実に再現、継承しながら、「国家の死滅」という観点から両命題を統一的に把握することによって、国家の「完全な」死滅に至る過渡期を想定している。同時に彼は、武装した労働者の国家、「計算と統制」によって組織化された国民経済、平等な労働と平等な賃金といった、前述のマルクスのいう過渡的段階の共産主義社会に関する具体的イメージを示しながら、このような段階、すなわち社会主義への「直接的移行」を構想している。

 しかしその後、この構想の前提をなしていた世界革命への期待が裏切られ、圧倒的多数の小農民人口を抱える孤立したソビエト国家という現実下で、レーニンは自己の見解を修正し、「ネップのロシア」という特別の中間的段階=時期を経由して初めて社会主義への移行が可能となるであろう、とする新命題を提起した(1921~22)が、新しい過渡期論を仕上げることなく病没した。

[門脇 彰]

通説の形成と批判

1920年代~30年代のソビエト連邦における社会主義建設の歴史的経験に基づいて形成された通説的な過渡期論は、資本主義から社会主義への移行過程の本質的特徴を経済の多ウクラード性に求め、各種ウクラードの同時的発展(二重性)のなかで資本主義と社会主義との間で「だれがだれを」の原則による階級闘争が進行し、過渡期の初めに樹立されたプロレタリア独裁の国家の適切な経済政策の助けを借りて展開される諸変革(国有化、工業化、農業集団化など)を通して、終局的には社会主義ウクラードの全一的支配が確立されるに至る、としている。40年代後半から50年代にかけて行われた東欧諸国、中国などの社会主義建設もまた、基本的にはこのような通説的な過渡期論に依拠していた。

 現存社会主義の国別多様化が進み、社会主義諸国間の意見対立が顕在化した1960年代には、過渡期論に関しても新しいさまざまな見解が提起された。とりわけ中ソ論争のなかで、中国側からは、上記の通説に対して鋭い批判が浴びせられたが、それは、社会主義社会それ自体の過渡的性格を強調し、この社会=過渡期には共産主義的要素と「旧社会の名残(なごり)」以外の独自の第三の要素は存在せず、両者の矛盾は激しい階級闘争として現れるし、またこの闘争の帰趨(きすう)いかんによって資本主義復活の可能性がある、と主張するものであった。「だれがだれを」という過渡期の原則を社会主義社会に適用するこのような見解は、「三本の紅旗」(大躍進、人民公社、総路線)のもとでの継続革命という当時の中国の基本方針を理論的に裏づけようとするものであったと思われるが、その後「改革開放」路線が定着するなかで事実上放棄されることとなった。このほか、北朝鮮の路線に沿った金日成(きんにっせい/キムイルソン)の過渡期の終了=無階級社会の実現という見解や、国家の死滅の問題と関連づけた当時のユーゴスラビアの独特の見解などがあるが、いずれをみても一国的過渡期をそれぞれの国の社会主義建設の歴史的な課題や経験に基づいて論じたものである。東欧およびソ連邦の社会主義体制の崩壊(1989~91)を受けて、これらの一国的過渡期論の有効性にも疑念が呈せられている。それにかわり、世界史的観点からの過渡期論を構築し、そのなかに既存・現存の社会主義体制を位置づけることが、過渡期論の今後の課題だと思われる。

[門脇 彰]

『江副敏生著『過渡期についての「中ソ論争」』(1979・中央大学出版部)』『門脇彰・荒田洋編『過渡期経済の研究』(1975・日本評論社)』『斎藤稔著『社会主義経済論序説』(1976・大月書店)』『藤田勇編『講座・史的唯物論と現代6 社会主義』(1979・青木書店)』

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