俗人のままで葬儀その他の仏事法務をつかさどるもので,主として真宗(一向宗)に属していた。在家主義を基調とする真宗では,本来は僧俗の区別がなく,同信者は互いに同行,同朋と呼びかわし,その集会所たる道場を中心に信仰を温めあうのをたてまえとしていたが,年代が経つにつれ同行の中から法務を職業とする僧侶があらわれ,道場もしだいに寺院化していった。しかし,江戸時代初期にはなお道場の形態を保持し,農業に従事しながら近在の法務をとりしきるものも広範囲に存在していた。彼らは有髪のままで僧侶役を務めることから毛坊主と呼ばれた。毛坊主には村落内での社会的地位の高い有力農民が多く,宗判権を認められているものもいたが,身分・職業の明確化を目ざす幕藩行政の上からは好ましい存在ではなく,これを法令で禁止した藩もあり,江戸時代中期以降はごく一部の地域以外ではほとんど消滅した。
執筆者:児玉 識
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剃髪(ていはつ)して生涯独身を通すのが僧侶(そうりょ)の通例と考えられた時代での、半僧半俗の有髪(うはつ)の人たちをいう。中世から近世にかけて、主として北陸から近畿にわたる地帯の、浄土真宗の農村に多かった。当時は寺院をもたない村も多かったが、これらの地帯では村ごとに道場をもち、寺院の出張所と集会所のような役目を果たしていた。たいてい自宅を道場として、日常は農業を営み、わずかな田畑を耕作していた。それでも、家の入口などに小さな釣鐘をかけ、村内に死者があると、導師となって正規の僧侶と同じような役割を果たし、年忌などがあると出かけて行ってお経を唱えた。当時としては学問があって、長百姓(おさびゃくしょう)や庄屋(しょうや)の次・三男が毛坊主になったのであろう。そのほか、定職をもたない人や寺男なども、経文を覚えて道場に住み着くことがあった。1872年(明治5)の道場廃止令によって、寺院に昇格したものもあり、一般の農家になったものもある。北陸地方ではいまも道場は存続しており、他の地方でも地名に残るものが多い。毛坊主は下級の僧侶とみられてきたが、寺をもたない小集落において、道場の制度とともに浄土真宗の民間布教に果たした役割は大きい。
[井之口章次]
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