郡虎彦(読み)こおり・とらひこ

朝日日本歴史人物事典 「郡虎彦」の解説

郡虎彦

没年:大正13.10.6(1924)
生年明治23.6.28(1890)
日本人としてはじめて,英語で創作した戯曲がロンドンの舞台で上演された異色の国際的作家。東京生まれ。東大中退。『白樺』最年少の同人で,創刊当時の数え年にちなんだ筆名萱野二十一で詩,戯曲,小説,評論などを書き,また『太陽』の懸賞小説入選作『松山一家』(1910)が世紀末風な奇想と絢爛たる文体で注目される。大正1(1912)年に自作の『道成寺』が2代目市川左団次の自由劇場で演じられ,その翌年渡欧,イギリスで女流詩人ヘスター・M.セインズベリと共同生活をして,英文の作品を本名で発表。上演された『鉄輪』《Kana‐ wa》(1917)をはじめ,『王争曲』《SaulandDavid》,《Ab‐ salom》を刊行,『義朝記』《TheToilsofYoshitomo》がリトル・シアターで上演(1922)されて広く反響をよぶが,持病結核のためスイスのモンタナで客死した。満34歳だった。<著作>『郡虎彦全集』<参考文献>杉山正樹『郡虎彦・その夢と生涯

(杉山正樹)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郡虎彦」の意味・わかりやすい解説

郡虎彦
こおりとらひこ
(1890―1924)

劇作家、小説家。東京下町の鈴木家に生まれ、誕生と同時に郡家養子となる。養父は旧会津藩士で日本郵船最古参の船長。学習院時代に柳宗悦(やなぎむねよし)と回覧雑誌『桃園』を出し、『白樺(しらかば)』創刊の同人となる。初めは養祖父の姓と年齢にちなんだ筆名萱野二十一(かやのにじゅういち)を用いた。『白樺』のなかでは異色の耽美(たんび)系の作風。ボヘミアン的要素をもち、1913年(大正2)渡欧。西欧的な教養と日本的な美意識の融合した『鉄輪(かなわ)』『義朝(よしとも)記』などの戯曲はヨーロッパで評価された。一時帰国、21年ふたたび渡欧し、スイスのサナトリウムで客死した。

[紅野敏郎]

『『郡虎彦全集』2巻・別巻1(1935・創元社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郡虎彦」の意味・わかりやすい解説

郡虎彦
こおりとらひこ

[生]1890.6.28. 東京
[没]1924.10.6. スイス
劇作家。別名萱野二十一。東京大学英文科中退。『白樺』に参加し,『松山一家』 (1910) で文壇に進出。『道成寺』 (12) ,『鉄輪 (かなわ) 』 (13) を発表後渡英。『鉄輪』の英訳ほか『五争曲』 (17) ,『アブサロム』 (18) など英文戯曲を書き,特に『義朝記』 (22) は各国語に翻訳され,それらが逆輸入されて有名になった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「郡虎彦」の解説

郡虎彦 こおり-とらひこ

1890-1924 明治-大正時代の劇作家。
明治23年6月28日生まれ。学習院在学中,「白樺」の創刊にくわわる。明治43年「松山一家」が「太陽」懸賞小説に入選。45年「道成寺」が自由劇場で上演される。大正2年渡英。英文でかいた「鉄輪(かなわ)」「義朝記(よしともき)」が上演されるなど,海外で評価された。大正13年10月6日スイスで病死。35歳。東京出身。東京帝大中退。筆名は萱野二十一(かやの-にじゅういち)。

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