日本大百科全書(ニッポニカ) 「東京曙新聞」の意味・わかりやすい解説
東京曙新聞
とうきょうあけぼのしんぶん
1875年(明治8)6月2日『あけほの』を改題した政論新聞。末広重恭(しげやす)(鉄腸(てっちょう))、古沢滋(しげる)、大井憲太郎らが在社、民権論、征韓論を鼓吹した。同月28日讒謗律(ざんぼうりつ)、新聞紙条例が発布されると、末広は7月20日付け紙上でこの新律を攻撃、そのため8月7日、禁錮2か月、罰金20円に処せられた。これは新聞紙条例による最初の被罰であったため、大いに世間の同情を集め紙価を高めたが、青江莠(しゅう)社主が政府と妥協を図ろうとしたため末広は社を去った。のち、岡本武雄が主宰したが経営難が続き、79年9月末1792号で廃刊。10月1日から再興1号を出したがこれも振るわず、82年2月28日付け716号で終刊、『東洋新報』と改題したが、同年12月廃刊した。
[春原昭彦]