京都の風土に影響を受けた舞。上方の舞は,朝廷に仕えた公家の女官などが手すさびにたしなんだ御殿舞から派生した舞と,大坂の歌舞伎から派生し,町師匠によって広められた座敷舞とがあり,京舞は前者の系統。幕末から明治初年にかけて,京の舞は篠塚流が盛んであったが,実力をそなえた統率者がおらずしだいに衰微し,明治に入って3世井上八千代の率いる井上流が隆盛を迎えて以来,京都はえぬきの流派は井上流だけとなった。したがって現在京舞といえば井上流の舞を指す。井上流の京舞は,代々の家元が能の金剛流や観世流の影響を受け,本行の格調をそなえているが,歌舞伎や人形浄瑠璃の型を巧みに取り入れて独特の流風を創った。その鋭角的な型付は洗練された巧緻な技法によって,きわめて力強くしかも風情に富んだ舞として評価されている。京舞は毎春祇園歌舞練場で催される都をどりのほか,いくつかの温習会で見られるが,1953年新橋演舞場で第1回東京公演を催して以来,5年ごとに東京公演を催している。
執筆者:柴崎 四郎
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→上方舞
…京舞の一流派。江戸末期に井上さとが初世井上八千代として創流。…
…芸妓の別踊をはさんだ舞妓の総踊を中心に約1時間の番組を1日に5回上演しており,他の花街舞踊に比べ,観光客を対象にきわめて興行化されている。内容は京都の四季おりおりの風趣を品よくまとめており,4世井上八千代の振付指導によって,京舞らしい華やかさと格調のあふれたところに特色がある。【柴崎 四郎】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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