重商主義の最も初期段階に現れた素朴な経済思想および経済諸政策の特色を示す名称として使用される。内容的には,貨幣的富(地金銀)を唯一の富として極度に重要視する点で,他の重商主義思想と区別される。イギリスではすでに14世紀以来,地金銀の輸出禁止,輸出商品の取引地を特定した〈貨物集散市staple town〉の設定,外国商人による輸入商品代金の国外流出防止策として国内商品を強制的に購入させる〈使用条例statutes of employment〉,輸出商品の代金の少なくとも一部を現金で持ち帰らせる〈取引差額制度balance of bargain system〉(取引差額主義は重金主義の別称としても使用される),両替や外国為替取引を直接に統制する〈王立為替取引所royal exchange〉の設立,などによる直接的・個別的貿易統制策が採用されていた。しかし,重金主義が歴史的概念として注目されるのは,16世紀中葉に価格革命への対応策として,これらの諸政策の復活強化が提唱されるようになってから後のことである。〈グレシャムの法則〉で知られるT.グレシャムやJ.ヘールズはその先駆者的存在で,重金主義の代表者はマリーンズGerard de Malynesであった。彼は17世紀の初めに貿易差額論者E.ミッセルデンやT.マンを相手に〈外国為替論争〉を引き起こしたが,大勢はこの時期に〈貿易差額主義balance of trade system〉への転換を示していた。
→重商主義
執筆者:時永 淑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
16~18世紀にかけてヨーロッパ諸国に支配的であった重商主義のうち、とくに初期の経済思想とそれに基づく政策を重金主義という。重金主義者たちは、国富すなわち地金銀という考えにたち、富を確保するため為替(かわせ)統制など直接的な貿易統制によって個別的貿易差額を順(プラス)ならしめ、また正貨、貴金属の輸出を制限、禁止する政策を主張した。こうした主張はとくにイギリスにおいて行われ、その代表者は17世紀前期のG・マリーンである。各国の君主はこの考えに基づき、地金銀の獲得のため盛んに金・銀鉱を開発し、また植民地の経営に乗り出した。しかしその結果、国内の貨幣価値の下落(物価の騰貴)を引き起こし、国内産業の発達をかえって妨げることになった。そのため重金主義は、輸入を上回る輸出の実現による地金銀の獲得を主眼とする貿易差額主義の重商主義にとってかわられた。
[根本久雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
重商主義の初期に現れたヨーロッパの経済政策,学説。直接的手段による貨幣の獲得をめざし,国内,国外に金銀鉱山を求めるとともに,金銀の国外流出を禁止して,できるだけ多くの貨幣の蓄積を図った。
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【イギリスにおける重商主義体系の変遷】
重商主義の諸政策体系とそれらの変遷とを典型的な形で示したのは,やはり資本の本源的蓄積過程が典型的な形で遂行されたイギリスであった。その変遷過程を大別すれば,初期の重金主義つまり取引差額主義balance of bargain systemから貿易差額主義balance of trade systemへの転換,さらに17世紀中葉以降の貿易構造の変化に伴う自由貿易論と保護主義との対立期への変容とに分けることができる。また,これらの過程は,政治体系との対応においては絶対主義的重商主義royal mercantilismと議会的重商主義parliamentary mercantilismとに分けることもできる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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