野口冨士男(読み)ノグチフジオ

デジタル大辞泉 「野口冨士男」の意味・読み・例文・類語

のぐち‐ふじお〔‐ふじを〕【野口冨士男】

[1911~1993]小説家東京の生まれ。本姓、平井。昭和15年(1940)小説風の系譜」を発表。その後、徳田秋声に傾倒し、評伝徳田秋声伝」で毎日芸術賞受賞。他に小説「なぎの葉考」「かくてありけり」など。芸術院会員。

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20世紀日本人名事典 「野口冨士男」の解説

野口 冨士男
ノグチ フジオ

昭和・平成期の小説家



生年
明治44(1911)年7月4日

没年
平成5(1993)年11月22日

出生地
東京都千代田区麴町

本名
平井 冨士男(ヒライ フジオ)

学歴〔年〕
慶応義塾大学予科〔昭和5年〕中退,文化学院

主な受賞名〔年〕
毎日芸術賞〔昭和41年〕「徳田秋声伝」,読売文学賞(随筆・紀行部門・第27回)〔昭和50年〕「わが荷風」,読売文学賞(小説部門・第30回)〔昭和53年〕「かくてありけり」,川端康成文学賞(第7回)〔昭和55年〕「なぎの葉考」,日本芸術院賞(文芸部門・第38回)〔昭和56年〕,菊池寛賞(第34回)〔昭和61年〕「感触的昭和文壇史」

経歴
紀伊国屋書店、都新聞社などに勤務する一方、「行動」など多くの同人雑誌に関係を持ち、昭和15年「風の系譜」を刊行。19年海軍に応召、その体験が後の「海軍日記」となる。40年評伝「徳田秋声伝」を刊行して高い評価を受け、翌年毎日芸術賞を受賞。以後、幅広く活躍し、50年「わが荷風」、53年「かくてありけり」で読売文学賞を、55年「なぎの葉考」で川端康成文学賞を受賞し、56年には日本芸術院賞を受賞。59年から63年まで日本文芸家協会理事長を務めた。平成3年「野口冨士男自選小説全集」(全2巻 河出書房新社)を出版没後の6年越谷市立図書館に野口冨士男文庫が開設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野口冨士男」の意味・わかりやすい解説

野口冨士男
のぐちふじお
(1911―1993)

小説家。東京生まれ。慶応義塾大学文学部中退後、文化学院に学ぶ。1933年(昭和8)紀伊國屋(きのくにや)出版部に入る。のち徳田秋声の「あらくれ会」に参加。40年、都会の庶民生活の哀歓を精緻(せいち)に描いた第一創作集『風の系譜』を刊行し評判を得た。引き続き同系列の『眷属(けんぞく)』を刊行。戦後は徳田秋声を考証的に研究し、『徳田秋声伝』(1965)により毎日出版文化賞を受賞。秋声研究はほかに『徳田秋声ノート』『徳田秋声の文学』がある。またエッセイ『わが荷風』(1975)で読売文学賞、自伝小説『かくてありけり』(1978)で読売文学賞、短編小説『なぎの葉考』(1980)で川端康成(やすなり)文学賞を受賞。ほかに『暗い夜の私』『散るを別れと』『風のない日々』などの小説がある。

[栗坪良樹]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口冨士男」の解説

野口冨士男 のぐち-ふじお

1911-1993 昭和-平成時代の小説家。
明治44年7月4日生まれ。徳田秋声に師事。昭和15年「風の系譜」を発表,都会の庶民生活の哀歓をえがいて評価された。戦後の41年「徳田秋声伝」で毎日芸術賞,51年「わが荷風」で,54年自伝的小説「かくてありけり」で読売文学賞をうけるなど,受賞多数。芸術院会員。平成5年11月22日死去。82歳。東京出身。文化学院卒。本名は平井冨士男。

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367日誕生日大事典 「野口冨士男」の解説

野口 冨士男 (のぐち ふじお)

生年月日:1911年7月4日
昭和時代;平成時代の小説家。日本文芸家協会理事長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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