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徳田秋声 とくだ しゅうせい

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美術人名辞典の解説

徳田秋声

明治・大正・昭和時代の小説家。石川県生。尾崎紅葉の門で作家活動を開始した。日露戦争後、『足跡』『黴』等の作品が注目され、自然主義文学の代表作家となる。『仮装人物』『縮図』は晩年の傑作で、自然主義文学の到達点を示した。昭和18年(1943)歿、71才。

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デジタル大辞泉の解説

とくだ‐しゅうせい〔‐シウセイ〕【徳田秋声】

[1871~1943]小説家。金沢の生まれ。本名、末雄。尾崎紅葉の門に入る。自然主義文学の代表的作家として活躍、大正中期以後は心境小説に秀作を残した。作「」「あらくれ」「仮装人物」「縮図」など。

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百科事典マイペディアの解説

徳田秋声【とくだしゅうせい】

小説家。本名末雄。金沢生れ。四高中退。尾崎紅葉に師事し,硯友(けんゆう)社派の作家として出発したが,泉鏡花や小栗風葉のように文壇に認められることはなかった。しかし,自然主義文学が台頭するに及んで,《新世帯》《足迹》《黴》《爛(ただれ)》《あらくれ》等を書いて島崎藤村田山花袋と並んでその代表的作家となった。
→関連項目葛西善蔵三島霜川

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳田秋声 とくだ-しゅうせい

1872*-1943 明治-昭和時代前期の小説家。
明治4年12月23日生まれ。尾崎紅葉(こうよう)に師事し,明治29年第1作「藪かうじ」を発表。泉鏡花らとともに紅葉門下の四天王と称された。「新世帯(あらじょたい)」「黴(かび)」「あらくれ」などで自然主義文学の代表的作家となる。晩年には「仮装人物」があり,「縮図」は戦時下の言論弾圧で未完。芸術院会員。昭和18年11月18日死去。73歳。石川県出身。第四高等中学中退。本名は末雄。
【格言など】小説を書きたいからああいう恋愛もする(「仮装人物」を執筆する直前に)

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世界大百科事典 第2版の解説

とくだしゅうせい【徳田秋声】

1871‐1943(明治4‐昭和18)
小説家。本名末雄。金沢市生れ。家系は金沢藩家老横山家の家人。1891年金沢高等中学校を中退,翌92年文学を志して同郷の桐生悠々(きりゆうゆうゆう)とともに上京,尾崎紅葉の門を叩くが,受け入れられず,失意のうちに帰郷した。95年再度上京,博文館に勤務するかたわら,泉鏡花のすすめにより紅葉門下に加わり,作家生活に入った。短編《藪かうじ》(1896),長編《雲のゆくへ》(1900)などでやや世評を得たものの,その地味で暗い作風ゆえに,同門の鏡花や小栗風葉ほどの人気はなかった。

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大辞林 第三版の解説

とくだしゅうせい【徳田秋声】

1871~1943) 小説家。金沢生まれ。本名、末雄。硯友社系の小説家として出発、のち人生派的な自然主義の傾向を強めた。地道な散文精神と庶民的作風から、生まれながらの自然主義者と称された。著「新世帯」「足迹」「黴」「爛」「あらくれ」「仮装人物」「縮図」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳田秋声
とくだしゅうせい

[生]明治4(1871).12.23. 金沢
[没]1943.11.18. 東京
小説家。本名,末雄。 1891年第四高等学校中退。上京し,尾崎紅葉の門に入り,96年処女作『藪柑子 (やぶこうじ) 』によって文壇に認められ,泉鏡花,小栗風葉,柳川春葉とともに紅葉門下の四天王と称された。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳田秋声
とくだしゅうせい
(1871―1943)

小説家。本名末雄。明治4年12月23日(西暦1872年2月1日)石川県金沢市生まれる。父、雲平は加賀藩家老横山家の家臣、母タケはその4番目の妻で、秋声には異母兄姉が4人、同腹の姉が1人あった。幼時から病弱で小学校入学も1年遅れた。1886年(明治19)石川県専門学校に入学、1888年、学制改革により同校が第四高等中学となり、秋声はその補充科に合格したが、同時に受験した泉鏡花(きょうか)は不合格だった。父の病没により1891年退学。小学時代の同級生桐生悠々(きりゅうゆうゆう)らとの交友深まり、文学への関心高まり、1892年悠々とともに上京。尾崎紅葉(こうよう)に会いに行ったが、玄関番をしていた鏡花に断られて会えず、坪内逍遙(しょうよう)には会えたが意を達せず、大阪の兄を頼って下阪、『大阪新報』『葦分船(あしわけぶね)』などに作品を発表した。翌年帰郷、このころより「秋声」の筆名を用いた。1894年新潟県長岡の『平等新聞』記者として赴任、翌年上京して博文館に入社。鏡花の誘いで紅葉門下となった。1896年『文芸倶楽部(くらぶ)』に『藪(やぶ)かうじ』を発表、文壇的処女作となった。その年、博文館退社、以後1899年から1901年(明治34)まで読売新聞社に勤めたほかは、生涯文筆だけで生計を支えた。したがって通俗物をも量産する必要に迫られ、生涯にわたってその種の作品が多産されている。そのため、初期に『惰(なま)けもの』(1899)、『雲のゆくへ』(1900)などの佳作で文壇の注目を集めながら決定的な力作が出なかった。
 1902年、小沢はま同居、妻となる。翌年師紅葉の没後、しだいに自然主義的傾向が文壇に強まるにつれて秋声の作風が認められるようになり、1908年、短編集『秋声集』と中編『新世帯(あらじょたい)』(『国民新聞』連載)とが同時に好評を得て、秋声の自然主義作家としての地位はほぼ定まった。『足迹(あしあと)』(1910)は新聞連載中は評価を得られなかったが、翌年『黴(かび)』の成功によって再評価され、田山花袋(かたい)は平面描写の極致を示すものとして激賞した。この2作は自然主義にとっても秋声にとっても決定的な作となった。生田長江(いくたちょうこう)は秋声を「生れたる自然派」と評した。そのような作風の秋声は、自然主義の退潮とともに行き詰まることになり、『爛(ただれ)』(1913)、『あらくれ』(1915)あたりを峠として、大正後半期には第一線を退いた形となり、1920年(大正9)の花袋秋声生誕50年祝賀会は、自然主義の両雄の文壇退場を告げるかのごとき観を呈した。しかし、1926年妻はまの急死に前後して秋声の身辺に登場した作家志望の山田順子との交渉は、秋声の創作意欲を再燃させ、『元の枝へ』(1926)などの短編から『仮装人物』(1935~38)に集大成する道を開き、また1931年(昭和6)に知り合った芸者小林政子との交渉から『縮図』(1941)を生み、晩年の2傑作となった。1937年芸術院会員。昭和18年11月18日肋膜癌(ろくまくがん)のため没。本郷の住居は東京都史跡に指定。石川近代文学館に原稿などを収蔵する。[和田謹吾]
『『秋声全集』全18巻(1974~75・臨川書店) ▽野口冨士男著『徳田秋声伝』(1965・筑摩書房) ▽『吉田精一著作集8 花袋・秋声』(1980・桜楓社)』

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世界大百科事典内の徳田秋声の言及

【足迹】より

徳田秋声の長編小説。1910年(明治43)《読売新聞》に発表。…

【あらくれ】より

徳田秋声の長編小説。1915年(大正4)《読売新聞》に連載,同年,新潮社より単行本として刊行。…

【仮装人物】より

徳田秋声の長編小説。1935‐38年(昭和10‐13)にかけて《経済往来》に断続掲載。…

【反ファシズム】より

…そのなかで1934年11月結成された全評(日本労働組合全国評議会)が組織目標に〈ファッショ,社会ファッショ反対〉を掲げ,37年まで反ファシズム運動を進めたことが注目されよう。 知識人の動きは,1933年4月の滝川事件に際して結成された大学自由擁護連盟,ナチスの焚書に対する抗議を契機に同年7月結成された反ナチス団体ともいえる学芸自由同盟(長谷川如是閑,徳田秋声,秋田雨雀,三木清ら)に示された。共に長くは続かなかったが,コミュニストや社会主義者よりもリベラル派が中心に結集した広範なグループで,明確な反ファシズム運動を形成した。…

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