改訂新版 世界大百科事典 「金器銀器」の意味・わかりやすい解説
金器・銀器 (きんきぎんき)
金または銀を素材にした器物全般を指す場合と容器のみをいう場合がある。日本では後者が一般的で,前者を金銀製品といって区別する。中国の用法は前者。鋳造,槌起,截断といった製作技法があるほか,トルコ石,メノウ,紅玉髄,ラピスラズリ,コハク,カメオの半貴石やガラスを嵌入する製品もあり,他の金属製品の文様を金銀で象嵌,貼付,メッキすることも普通である。金・銀の合金(エレクトロン,エレクトラム)もある。金銀器はつぶして新たな器物とする場合も多いので,同一文化・地域の中でもその変遷を把握しがたいことがある。遠隔地へ動きやすい性格からは,出土地と製作地とを必ずしも同一視できず,文献や器物銘文に明記された場合は別にして,器物自身から製作地を定められないこともある。使用の歴史をみると,1回の製作で使用量が限られている装具がまずあらわれ,ついで容器,貨幣,象嵌などがあらわれている。前4千年紀末のメソポタミアやエジプトで既に存在し,前3~前2千年紀には確固たる技法,多用が認められ,ミュケナイ文明のそれと匹敵する。歴史時代においてはギリシア植民地をもつ黒海北岸のスキタイや南ロシア一帯に豪華な金製品に対する嗜好が広がり,この伝統は歴代の遊牧民族に継承され,アジア北半を弧状にまたぎ,三国時代新羅に至っている。銀器はこれに対しローマで奢侈(しやし)品として優品を生み,ササン朝ペルシアでは帝王・宗教祭式と結びついて用いられた。中国古代では,殷・西周・春秋時代に金を装具として寡用し,戦国時代に金・銀錯のすぐれた工芸を生む。
その後ササン朝から中央アジアの民族エフタルを介して銀器嗜好が伝わったが,8世紀前半に急激にピークをむかえ,以後宋・元の量産方向へ堕していく。日本では六朝の装具に比較すべきものが6世紀からみとめられるが,鍍金が主流で,正倉院蔵品は9世紀の唐以降の中国製品が多い。
→金 →銀
執筆者:桑山 正進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報