(読み)ギン(その他表記)silver

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デジタル大辞泉 「銀」の意味・読み・例文・類語

ぎん【銀】[漢字項目]

[音]ギン(漢) [訓]しろがね
学習漢字]3年
金属元素の一。しろがね。「銀貨銀器銀山銀製銀箔ぎんぱく金銀純銀水銀白銀
お金。「銀行銀座銀子ぎんす賃銀路銀
ぎん色。「銀河銀糸銀髪銀盤銀幕銀輪銀世界
「銀行」の略。「市銀都銀日銀
[名のり]かね
[難読]銀杏いちょう銀杏ぎんなん銀鼠ぎんねず

ぎん【銀】

銅族元素の一。金と並び称される貴金属。単体は白色で金属光沢がある。電気・熱の伝導性は金属中最大で、展延性は金に次いで大きく、厚さ0.15マイクロメートルはくにすることが可能。硝酸および熱硫酸に溶け、硫黄硫化水素で黒変する。自然銀・輝銀鉱などとして産出。装飾品・貨幣・感光材料などに使用。記号Ag 原子番号47。原子量107.9。しろがね。
銀貨。また、貨幣。「10枚」
「小判走れば―が飛ぶ」〈浄・博多小女郎
ぎんいろ。「の世界」
将棋の駒で、銀将
銀メダル
銀ギセルなど1で作ったものの略称。
わらつ火へ―を突っ込む田舎道」〈柳多留・九〉
[補説]書名別項。→
[類語]しろがね洋銀純銀白銀燻し銀シルバー

しろ‐がね【銀】

白金の意。古くは「しろかね」》
ぎん。「の杯」→あかがねくろがねこがね
銀色。しろがねいろ。「冬山は一面の世界だ」
銀泥ぎんでい
銀糸
銀の貨幣。銀貨。
「一分小判や―に翼のあるがごとくなり」〈浄・冥途の飛脚
[類語]洋銀純銀白銀燻し銀シルバー

ぎん【銀】[書名]

木下利玄の第1歌集。大正3年(1914)刊。

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精選版 日本国語大辞典 「銀」の意味・読み・例文・類語

ぎん【銀】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 青白色の美しい金属光沢を持ち、金よりやや軽くて堅い金属元素の一つ。自然銀もあるが、主に輝銀鉱などの硫化物の形で存在する。工業的には青化法、乾式法などで精錬する。電気、熱の伝導性は金属中最大で、展性、延性は金についで大きい。空気中では安定だが、オゾンにより過酸化銀となって、硫黄とは直接結合し、黒変する。貨幣、装飾用などに用いられる。化学記号 Ag 原子番号四七。原子量一〇七・八六八。しろがね。
    1. [初出の実例]「但阿提。飯高。牟漏三郡献銀也」(出典:続日本紀‐大宝三年(703)五月己亥)
  3. ( を貨幣の材料として用いたところから ) 貨幣、またはその額を表わす語。
    1. (イ) 丁銀、豆板銀などの銀貨の総称。
      1. [初出の実例]「引結ぶ一つぶ銀やとしの暮〈荻子〉」(出典:俳諧・続猿蓑(1698)冬)
    2. (ロ) ( 上方で主として銀貨が貨幣として用いられたため ) 貨幣一般。金銭。かね。金額の上につけて、銀貨の額を示すのにも用いる。
      1. [初出の実例]「銀壱両とすこし位を付置ぬ」(出典:浮世草子・好色一代女(1686)六)
    3. (ハ)ちょうぎん(丁銀)」の略。
      1. [初出の実例]「花代も舞台踏(ふむ)は銀(ギン)壱枚に定めぬ」(出典:浮世草子・男色大鑑(1687)五)
  4. ぎんよう(銀葉)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  5. ぎんギセル(銀煙管)」の略。
    1. [初出の実例]「藁つ火へ銀を突込む田舎道」(出典:雑俳・柳多留‐九(1774))
  6. ぎんしょう(銀将)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  7. ぎんやんま(銀蜻蜓)」の略。
    1. [初出の実例]「ぎんやらちゃめやらやんまやら蝉やらが一杯入れられてガサガサ騒ぐ」(出典:生(1908)〈田山花袋〉二八)
  8. ぎんいろ(銀色)」の略。

しろ‐がね【銀】

  1. 〘 名詞 〙 ( 白色の金属の意。古くは「しろかね」 )
  2. (ぎん)をいう。
    1. [初出の実例]「金(くがね)(しろかね)を本(はじめ)と為て目の炎耀(かがや)く種々の珍しき宝、多(さは)に其の国に在り」(出典:古事記(712)中)
    2. 「しろかねの花がめに桜をさし」(出典:源氏物語(1001‐14頃)胡蝶)
  3. 銀の粉を、膠(にかわ)に溶かしたもの。銀泥。
    1. [初出の実例]「春宮大夫殿、しろかねの法花経一部をせさせ給へり」(出典:栄花物語(1028‐92頃)衣の珠)
  4. 銀糸。
    1. [初出の実例]「少将の君は、秋の草むら・蝶・鳥などをしろかねしてつくりかがやかしたり」(出典:紫式部日記(1010頃か)寛弘五年九月一一日)
  5. 銀貨。丁銀・豆板銀など。銀子(ぎんす)
    1. [初出の実例]「江戸中の寺社・芝居、其外遊山所のはんじゃうなり。上がたとちがひし事は、白銀(シロカネ)は見えず壱歩の花をふらせける」(出典:浮世草子・日本永代蔵(1688)六)
  6. 銀色。雪の白さなどをたとえることが多い。しろがねいろ。
    1. [初出の実例]「しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る」(出典:落梅集(1901)〈島崎藤村〉小諸なる古城のほとり)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「銀」の意味・わかりやすい解説


ぎん
silver

周期表第11族に属し、銅族元素(貨幣金属元素ともいう)の一つ。単体は青白色の美しい光沢をもった金属で、貴金属として金と並べられる。『旧約聖書』に銀貨での取引の場面が出てくるように、銀は古くから知られた金属であるが、金と比べてその利用の仕方がはるかに遅かった。これは、自然銀の形での産出が自然金より少なく、精錬が必要だったことによる。古代の銀のおもな供給源は方鉛鉱であったため、古代遺跡の出土品では鉛といっしょに出てくることが多い。紀元前3000年ごろのエジプト、メソポタミアなどの遺跡からも発見されており(ただし、金に比べて銀製品ははるかに少ない)、バビロニア帝国の時代になると、銀製の壺(つぼ)などが出てくる。このころは、銀のほうが金よりも高貴であるとされ(前3600年ごろのエジプトの法律によれば、金と銀との価値の比は1対2.5であったという)、金に銀をめっきすることすらも行われたようである。またそのころの銀は、多分に金を含んだものであった。銀貨としての古い記録には前7世紀のリディア王国のものがあり、これがギリシア、ローマに受け継がれたといわれている(この時代の銀貨は金と銀との合金である)。銀の産出は前5世紀ごろのアッティカから増大しており、ローマ時代には銀器が珍重され、たいせつに取り扱われている。その後中世ヨーロッパでは、主産地はイギリス、ドイツとなったが、それでも金よりはるかに高価であった。16世紀に入って、「新大陸」から大量の銀がヨーロッパに流入し、銀の価格は下落して価格革命を引き起こしたが、イギリスなどで銀本位制を敷いたため、やがて価格は安定した。また銀は工芸的に広く用いられたが、ヨーロッパではとくに食器としての銀器が尊重され、イギリスの銀器は美術的に名高い。インドでも古くから使用されており、中国では唐・宋(そう)のころすでに銀器や銀塊を取り扱う店があったことが知られている。これを金行に対して銀行とよんだが、銀貨が金貨にとってかわるようになって、ついには金融機関の名称になっている。また、金が太陽を象徴するのに対し、銀はその色から三日月と結び付き、月の女神として崇拝され、中世の錬金術でも尊ばれた。日本では古く朝鮮からもたらされていたが、産出の記録は金よりも古い。天武(てんむ)天皇の時代(在位673~686)に対馬(つしま)から銀を産したという記録(『日本書紀』)や和銅銀銭が試鋳されたという記録(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)がある。しかし、世界的な傾向と同じく、古代から中世にかけては金ほどには用いられなかった。室町時代に至って各地で銀山が開発され、その産額は急激に増大した。

[中原勝儼]

命名の由来

銀の元素記号Agは、ラテン語の銀を意味するargentum(白いという意味のargosからきた語)からとったもので、フランス語のargentもラテン語に由来している。英語のsilverおよびドイツ語のSilberは、アッシリア語の銀を意味するsarpuからきたといわれる。

 日本では古く白金(しろがね)とよんで五色(ごしき)の金(かね)(黄金(こがね)=金、白金=銀、赤金(あかがね)=銅、黒金(くろがね)=鉄、青金(あおがね)=鉛)の一つであった。『万葉集』中の山上憶良(やまのうえのおくら)の歌「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」にその例がみられる。

[中原勝儼]

存在

元素存在度は小さく、その量は少ない。天然には自然銀として産するほか、主として硫化物の形で産出する。主要鉱物は輝銀鉱、脆銀鉱(ぜいぎんこう)、硫アンチモン銀鉱、硫ヒ銀鉱などで、そのほか角銀鉱もある。また銅、鉛、亜鉛などの鉱石には多少含有されており、これらの金属を精製するとき、副産物としてかなりの量が得られている。世界で産額が多いのは、メキシコ、ペルー、オーストラリア、アメリカ、中国で、これらで世界総生産額の大部分を占めている。

[中原勝儼]

製法

含銀鉱石からの精錬には、金の場合と同じく、混汞法(こんこうほう)、シアン化法、乾式法などがあるが、混汞法はあまり用いられていない。

(1)シアン化法 自然銀、塩化銀、比較的純粋な硫化銀などが原料の場合に用いられる。一般に原料鉱石中に不純物が多く、採取率はそれほどよくはない(50~70%)。そのため、できるだけ細かく粉砕し、シアン化液の濃度を高め(0.3~0.5%)、十分攪拌(かくはん)して浸出時間を長くし、酸素を取り込んで収率をあげている(80~90%)。金に比べて精錬の費用がかかるので、独立した銀精錬が行われることは少なく、金とともに精錬している。

(2)乾式法 金の場合とまったく同じで、銅・鉛製錬の際、銅、鉛の鉱石に融剤として金鉱石のケイ酸塩を加えて製錬し、銅、鉛とともに取り出して最後に分離する。

[中原勝儼]

精製法

以上のようにして得られた粗銀は、電解精錬によって精製する。銀電解法にはいくつかの方法があるが、いずれも電解液には硝酸を含む硝酸銀溶液を用いる。電極は正極・負極を交互につるす。その間に銀が樹枝状に発達して短絡することがあるので、それをかき落とす装置をつけ、電着銀の汚染を防ぐため、木綿またはモスリンの袋に入れて電解する。得られた銀を集め、融解して電気銀とする。純度は通常99.99%以上である。

[中原勝儼]

性質

展性、延性は金に次いで大きく、厚さ0.0015ミリメートルの箔(はく)をつくれる。また1グラムの銀は1800メートルの線とすることができる。硬さ2.5~3。融解すると、空気中では多量の酸素を吸蔵し、凝固の際にこれを激しく放出する。熱、電気の伝導性は金属中最大(電気抵抗率1.59×10-6Ω・cm、熱伝導率0.998cal/cm・sec・deg〔20℃〕)。水および酸素に対して安定であるが、オゾンでは黒色の酸化銀AgOに、硫黄(いおう)や硫化水素で黒色の硫化銀Ag2Sになる。水素、窒素、二酸化炭素などとは高温でも反応しないが、ハロゲンには侵される。硝酸および熱硫酸に溶け、それぞれ硝酸銀、硫酸銀となる。アルカリには溶けないが、融解した水酸化ナトリウムには、空気の存在下で溶ける。通常の化合物での酸化数はⅠおよびⅡであり、Ⅲのものもある。

[中原勝儼]

用途

電気、熱の良導体で、加工性、機械的性質のよいことを利用して、金属材料としての用途が広い。現在、世界総生産額の70%以上が工業用として使われており、残りが貨幣として用いられている。日本では写真工業用がもっとも多く、消費量の約3割を占める。また装飾品、工芸品、銀器などにも用いられる。純銀のままでは軟らかすぎるので、合金として用いることが多く、主として銅との合金が貨幣に用いられている。

[中原勝儼]

銀の文化史

中国において、銀が金に次いで貴重な神仙薬といわれるように、銀は金に次いで、あるいはそれと並んで、人類文化史上、尊重されてきた。銀は、金同様、経済的なものより美意識上の価値が大きいが、また通貨の材料として、各種の装飾、装身具としての価値をもってきた。その光沢から、多くの言語において銀をさす用語は、「白く輝く金属」を意味する。銀はまた、純粋や無垢(むく)を象徴するとされ、カトリックの教会では宗教儀式の用具や鈴などが銀製である。そして、金と太陽とのつながりに対し、銀は月と結び付けて観念され、銀が月の影響の下に成長すると考えられた。銀と月との関連は、古代の近東世界を通じてすでに一般的であり、エジプトの月女神ハトールは銀の女神とされた。他方で太陽神ラーをはじめ神々の骨が銀でつくられているともいわれた。ギリシア神話において、金が太陽神アポロンに属するのに対して、銀は月の女神アルテミスに属するとされる。この女神は、白馬に引かれる銀の戦車に乗って夜空を駆け、銀の弓を引き、銀の光の矢を放つといわれる。そして中世ヨーロッパの錬金術師たちは、銀を月の女神ルナまたはディアナ(アルテミスのローマ名)とよび、弓張月を銀の象徴とした。彼らの間にあって銀は、金に対比され、神の精神に対する人間の精神、男性に対する女性を意味した。

 ヨーロッパの俗信においても銀は月と結び付けられ、新月のときにポケットに銀貨を入れておくと、それが2倍となる幸運が語られる。また銀製の武器や弾丸は、鋼鉄のものより優れて超自然力をもち、けっして相手を殺し損なうことなく、それへの防御がないとされ、魔女などと戦う際にもっとも効果的と信じられていた。銀製の御守りが悪霊や魔術を防ぐのに力があるとの考えは各地にみられ、中国では銀製のロケットが悪霊除(よ)けのため身につけられる。中国南部から東南アジアにかけての山地民の間では、銀製の装身具がとくに好まれ、ことに女性の伝統的衣装を銀が飾りたてている。たとえばヤオ族の場合、上着の左右のあわせに四角形の銀板が用いられ、打掛様のものは、銀鋲(びょう)がちりばめられ、その間一面に刺しゅうの施されたきらびやかなものとなっている。さらに環状の耳飾り、ターバンの上に巻き付ける銀紐(ひも)、幾重もの首輪や耳輪、銀紐を編んでつくられた首飾りなどが身に着けられる。これらの銀製品は、装飾上、呪術(じゅじゅつ)上の効果をもち、装身具の形態やそこに彫刻される図案によって種族の特徴を標示するとともに、経済的に蓄財の機能をもっている。彼らの間では、金より銀に高い価値が置かれるという。古代エジプトにおいても、銀が希少性ゆえに金以上の価値をもっていたといわれる。銀の採鉱は、金同様にさまざまなタブーを伴うことがあり、鉱山を支配する神への祭儀もみられる。中国では、銀色の人や白衣の女性の消えた所に、銀の鉱山が発見されるとの伝承がある。

[田村克己]

貨幣としての銀

銀は、すでに紀元前2000年ごろにエジプトやバビロニアで金とともに秤量(ひょうりょう)貨幣として用いられていたといわれるが、一定の形状、品位、量目などを定めた銀貨として初めて鋳造されたのは前7世紀ごろのギリシアにおいてであった。銀が貨幣として利用されるようになったのは、銀に、(1)少量で価値が高く、(2)価値が安定しており、(3)耐久性があり、(4)壊すことがむずかしく、(5)小さく分割することが可能で、(6)どの部分をとっても品質が均一で、(7)持ち運びに便利、といった経済的、技術的性質があるからである。しかし、銀貨が取引に広く用いられるようになったのは、13、14世紀に地中海貿易が盛んになってからのことである。

 このように銀は古くから金と並んで貨幣として使われる場合が多く、複本位制度をとっている国々が支配的であった。シリング、ドル、フローリン、ポンドなどがすべて伝統的に銀貨に対して使われた称呼であるのは偶然ではない(ただしイギリスのポンドは、重量1ポンドの銀からスターリング銀貨240枚をつくった際に、その240枚を超える支払いにおける計算単位をポンド・スターリングとよんだことから出ているのであって、ポンドという銀貨がつくられたのではない)。しかし、一国の経済価値の単位の実質を、金銀2種の金属で規定する複本位制度では、かならず「悪貨は良貨を駆逐する」といういわゆるグレシャムの法則が働く不都合が生ずるので、複本位制度はいずれは単本位制度に移行すべき運命にあった。1816年に、当時世界経済において支配的地位を確立しつつあったイギリスが金本位制度を採用したことと、19世紀後半に各所に豊富な銀鉱が発見されて銀産出量が増加したり、精錬法に革新があって銀生産費が低下したりしたことのために、世界的に銀価が低落し金銀比価が上昇して、19世紀末までに諸国が相次いで銀本位を離れ、銀貨は補助貨幣になってしまった。最後まで銀本位国として残っていた中国も、1935年には金本位制度の一つである金為替(かわせ)本位制度に移行した。

 日本では5世紀の末葉に朝鮮半島から銀塊が輸入されて貨幣として使用されたのが最初とされ、国内で銀貨が初めて鋳造されたのは8世紀の初め(和銅(わどう)年間)であった。しかし銀貨が本格的に流通しだしたのは1601年(慶長6)伏見(ふしみ)に銀座ができて丁銀(ちょうぎん)を鋳造してからである。丁銀は重さがほぼ40匁と重さの一定しない秤量貨幣で、何枚包みとして一定の量目に包み、不足分は豆板銀で補って使われた。元禄(げんろく)(1688~1704)以後しばしば改鋳によって品位はしだいに劣悪となり、銀60匁が金1両に相当するものとされていたのに、慶応(けいおう)年間(1865~1868)には100匁以上となるぐらいに金銀比価は上昇していた。江戸時代の三貨制度が行われていた時期には、銀貨は金貨や銅貨とともに本位貨幣であった。明治に入って1871年(明治4)には金本位制度を柱とする新貨条例が制定されたが、実際には貿易銀(1ドル銀貨と等価値の1円銀貨)を本位貨幣とするものであり、1885年から発行されるようになった日本銀行の兌換(だかん)銀行券も、銀貨兌換によるものであった。日本が名実ともに金本位制度となったのは、1897年の貨幣法制定以後であり、このときから銀貨は補助貨幣となった。

[堀家文吉郎]

『山本博信編著『貴金属のはなし』(1992・技報堂出版)』『三上隆三著『貨幣の誕生――皇朝銭の博物誌』(1998・朝日新聞社)』『滝沢武雄・西脇康編『日本史小百科 貨幣』(1999・東京堂出版)』



銀(データノート)
ぎんでーたのーと


 元素記号  Ag
 原子番号  47
 原子量   107.8682±3
 融点    961.93℃
 沸点    2210℃
 比重    10.50(測定温度20℃)
 結晶系   立方
 元素存在度 宇宙 0.486(第57位)
          (Si106個当りの原子数)
       地殻 0.08μg/g
       海水 0.002μg/dm3

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改訂新版 世界大百科事典 「銀」の意味・わかりやすい解説

銀 (ぎん)
silver

周期表第ⅠB族に属する金属元素。金,銅に次いで発見されたとされている。

 原子記号のAgは,ラテン語のargentumで,〈輝く〉という意味のギリシア語argosに由来する。フランス語のargentはラテン語から,英語(ドイツ語)のsilver(Silber)はアッカド語の銀sarpuからきたといわれる。日本では古く白金(しろがね)と呼んで五色の金(かね)の一つであった。

面心立方格子の等軸晶系で,格子定数は4.086Å。すべての金属中で最大の電気伝導度,熱伝導度を有する。光の反射率もきわめて高く,赤外領域では98%に達するが,波長依存性が大きく320mmでは約10%に低下する。金属は酸素をよく溶解し,融点の少し上で20倍の体積(標準状態に換算して)の酸素を溶かし込むことができる。銀は貴金属のなかでは反応性が大きく,酸素の存在で硫化水素と,水の存在でオゾンや二酸化硫黄と反応する。温泉地帯で銀製品が黒変したり,また一般家庭でもすぐに光沢を失うのはこのためである。金属は硝酸や熱濃硫酸に溶ける。酸化数1の化合物が最も普通である。フッ化物を除くハロゲン化物,硫化物,酸化物,チオシアン酸塩は代表的な不溶性化合物であり,フッ化物,硝酸塩,過塩素酸塩はきわめて水に溶けやすい。アンモニア,チオ硫酸イオン,シアン化物イオンとは錯イオンをつくりやすく,これらの作用で不溶性化合物を溶かすことができる。酸化数2の化合物としてはAgF2,ピリジン錯体[Agpy42⁺,ビピリジン錯体[Ag(bpy)22⁺などがある。

 バクテリアその他下等生物に対しては微小濃度でも強い殺菌力を示す。この現象は古くから経験的に知られており,飲料水の腐敗防止に銀製容器が,また負傷者の手当に銀箔が使用されていた。
執筆者:

銀の鉱物は輝銀鉱Ag2S,角銀鉱AgClが主であるが,金との合金(エレクトラムelectrum)の自然銀としても産出する。しかし銀を採取できる銀鉱石はまれで,金の鉱石または銅,鉛,亜鉛の硫化物鉱石中に含有されるものから,これら金属の製錬の際に副産される。銅の製錬では,銀は粗銅中に濃縮され,さらに銅の電解精製の際に陽極泥(アノードスライム)の中に入り,銅から分離される。また鉛製錬の際にも粗鉛中に入った銀は電解により分離される。亜鉛鉱に随伴される銀は亜鉛の湿式製錬の工程で,不溶解残渣中に入るので,銀回収のための残渣処理を行う。金鉱石中に随伴する銀はシアン化法によって,金とともに回収される。最近では写真の定着時に溶解されるフィルム中の銀も,回収システムの発達により,効率よく回収されている。

電気,熱の最良導体であり,耐酸化性,加工性,機械的性質がすぐれているため,金属材料として広く用いられる。電気接点材料として弱電から強電まで用途が広く,近年はICリードフレーム材の伝導材として金とともに使われるなど,電子材料として脚光を浴びている。銀鑞(ろう),歯科用合金,めっき材料,化学工業用の器材にも使用される。臭化銀の形で写真感光材料に,硝酸銀は医薬品,分析用試薬などとして用いられる。
貴金属 →銀鉱物
執筆者:

16世紀から17世紀にかけてスペインの探検家がメキシコ,ペルー,ボリビアで銀分の高い大銀鉱床を発見して以来,この地区が現在に至るも世界最大の銀産出地帯である。さらに19世紀半ばアメリカのネバダで大鉱床が発見され,一時アメリカが最大の生産国となった。1992年の世界の生産量(鉱石中の含有量)は1万2730t,このうちメキシコ,アメリカ,ペルー,旧ソ連,オーストラリア,カナダ,チリで80%強を占めている。ポーランドがこれらに次いで多い。

 日本の銀供給は1958年までは国内産出分(国内鉱出)でまかなわれ,余剰分は輸出されていたが,工業用需要の伸びが大きく,59年以降純輸入国となった。国内鉱山からの生産は76年の338t以降しだいに減り,現在は金同様に海外輸入鉱石(銅・鉛など)からの副産物との割合は海外5対国内2程度である。海外鉱からの副産物等を含めた総供給量は増加傾向にあり,96年には国内生産2213t(国内鉱山からの生産は1993年に137t),輸入1253tに達した。

 日本では1952年に貴金属管理法が金管理法に改まった結果,銀は金に先がけて自由に販売できるようになった。統制撤廃直前の政府買入値は1kg9700円。日本の銀価格は現在,毎月上旬,中旬,下旬ごとに発表される精錬会社建値が基準となっているが,その算出法はロンドン銀市場とアメリカの大手貴金属商であるハンディ・ハーマンHandy & Harman社が発表する建値の平均を為替レートで調整し,金利,輸入諸掛りを加算するというものである。写真フィルム,電子機器メーカーなど大手需要家は,この精錬会社建値を基準に購入している。ただ70年代後半からニューヨークの先物市場であるコモディティ・エクスチェンジ相場の指標性が一段と強まってきた結果,銀の国際価格の変動は大きくなっている。たとえば79年の1トロイオンス10ドル台から80年初頭は50ドルへ,82年央には5ドルを割るといったぐあいである。国内の値決めも金同様に国際価格をにらんで日々変動する方式に移(きしょ)っていこう。東京金取引所に84年から銀が上場され,1日数回の立会となったため,こうした方向に拍車がかかろう。
執筆者:

銀は古くより高貴な工芸品に用いられたほか,貨幣の材料となり,さらに貨幣の代名詞ともなった(銀子(ぎんす),フランス語のアルジャンargentなど)。銀の装身具は魔よけの意味をもち,地域によっては金よりも貴ばれている。中国や日本では銀はつやのあるまたは美しい白の意味で用いられ(銀世界,銀髪,銀髯など),ほかに銀沙(白砂)などの表現があり,また俗に銀幕,銀飯などの用法がある。銀はまた月に係る語として,中国では月の別名を銀蟾(ぎんせん),銀兎(ぎんと)(月にヒキガエル,またはウサギがいるという伝説に基づく),銀盤などといい,月光を受けて輝くものの例に銀波,銀露などの表現がある。絵画において月を銀色で表す例は多い。銀は一般に金と対比され,後者が太陽・男性・天を象徴するのに対して,月・女性・水を象徴するものとされる。古代エジプト神話によれば神の身体は骨が銀,肉が金であったという。キリスト教では銀は神の智または神の言葉(《詩篇》12:6)を象徴する。
執筆者:

銀は古代から財宝,装飾品に用いられ,メソポタミアのウルク文化(前3400-前3100ころ),エジプトのゲルゼ文化(前3400-前3000ころ)の出土品中に,銀製の装飾品が発見されている。メソポタミアでは金より貴重とされ,バビロニアのハンムラピ王(前18世紀ころ)の時代には蓄蔵と支払に使用されていた。アナトリアにおこったヒッタイトは銀を含んだ鉛鉱石からおそらく灰吹精錬法に似た製法で銀を生産していたと思われ,フェニキア人はアナトリアから大量の銀をエジプトへ運んでいた。旧約聖書には,アブラハムがカナンへ来たとき,銀が支払に使用されていたことが記されている。ホメロス(前8世紀)の叙事詩の中には,産地は架空の場所であるが,飲用の銀器がうたわれている。東方文明で蓄蔵と支払に用いられていたのは大きさの異なる延棒で,使用のたびに秤量しなければならなかった。

 前700年ころアナトリアのリュディア王国ではじめて,一定量のエレクトラム(銀と金の天然の合金)を含む鋳貨が造られ,ギリシアの諸都市もこれにならった。前6世紀ころより,アッティカのラウレイオン銀山の方鉛鉱から造られたアテネのドラクメー貨は,地中海沿岸の標準貨幣になり,商業や奴隷売買に盛んに使われた。この銀山では数千人の奴隷が働いていたといわれる。ローマの属州の中ではヒスパニア(スペイン)が銀の産地として知られ,のちにはカルパチ山脈(東欧)やアイフェル丘陵(ライン地方)でも銀が採掘された。タキトゥスによれば,ゲルマン人は紀元100年ころウィースバーデンとエムス付近で銀を採掘していた。

中世には中部ドイツが最大の銀の産地になった。ハルツ地方のゴスラールは,968年にラムメルスベルク銀山が開発されると一躍繁栄に向かい,皇帝ハインリヒ2世(在位1102-24)はここへ宮廷を移した。現在では,1968年に採掘1000年を記念して鉱山会社から寄贈された鉱夫の人形と市の鐘が市民や観光客の目を楽しませている。ザクセン・マイセン地方でも10世紀ころから銀が採掘されていたが,フライベルクFreibergは1168年に発見された銀山が開発されると,12世紀以降ドイツ第1の鉱業都市になった。ここの鉱山の慣行を集成した〈フライベルク鉱業法〉は14世紀に制定され,ドイツの鉱業法の基礎になったばかりでなく,ヨーロッパ中に広まった。ドイツの銀山が空前の繁栄期を迎えたのは15世紀後半から16世紀にかけてである。ボヘミア(ヨアヒムスタール),ザクセン・マイセン(フライベルク,シュネーベルク,アンナベルク),チロル(シュワーツ)の諸地方が銀生産の三大中心で,当時の産額は19世紀半ばまで凌駕されなかった。領内に銀山をもつ諸侯や関係する都市は繁栄をきわめ,東方の奢侈品の対価として,大量の銀がベネチアなどイタリアの港を経由して東方へ流出した。銀生産の発達につれて,都市では教会や上流階級のために金銀細工師の手で銀の装飾品が作られた。J.アマンの木版画にH.ザックスの詩を添えて1568年に出版された《身分と手職の本》(邦訳《西洋職人づくし》)には,金銀細工師(…印章やら印つき指環,宝石をちりばめた高価な掛飾も小ものも,くさり,首飾,また腕輪も,杯やら壺の類も,ときには銀器も銀皿もつくる…),金銀箔師(金や銀を箔にのばすのがわしのしごと,画家やら型付け師,そのほか,どんな絵しごとにも使える箔つくりじゃ…),貨幣師(…刻印正しく精巧なグルデン,クローン,ターレル,パッツェン,半パッツェン,クロイツェル,ペニッヒ,よき昔のトゥール銀貨と,…良い通貨をわしは鋳出す)が載っている。南ドイツのアウクスブルクは,金属工芸の中心として外国にも知られていたが,1650年皇帝フェルナンド3世からオスマン・トルコ宮廷への贈物とスウェーデン女王の銀器が,この町の銀細工師の手で製作された。技術習得のために外国からアウクスブルクへ来住する金銀細工師もいたという。

 中世初めカール大帝(在位768-814)のときに,1リブラ(ポンド)=20ソリドゥス(シリング)=240デナリ(ペンス)の銀本位の幣制が成立し,ビザンティン帝国やイスラムの金貨に対して,デナリウスdenarius銀貨と半デナリウス銀貨が造られた。12~13世紀に大型のグロッシェンGroschen銀貨がイタリアで造られ,ドイツの銀産額が増大した15世紀末以来,ターラーTaler貨(ヨアヒムスタール製)が造られた。これは16世紀以降各国で造られて世界貨幣となった。

アメリカ大陸の世界史への登場は,銀の歴史に新しい時代を開いた。1545年にペルーのポトシ(現,ボリビア領),1546-48年にメキシコのサカテカス,グアナフアトで豊かな銀山が発見され,1560年ころからインディオを強制労働させて本格的に採掘された。水銀アマルガム精錬法もこのころ導入され,銀の生産増大に貢献した。その産額は最盛時には年約45万kgに達して(ドイツの10倍余)世界総産額の80%をこえ,中南米が銀の一大産地となった。この大量の銀はスペインの船団によって本国へ運ばれた。4,5月に本国を出帆してメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)に向かうフロータと,8月に出帆してカリブ海沿岸(ティエラ・フィルメ)に向かうガレオネスの2船団,60~100隻くらいが就航していた。両船団ともアメリカで冬を越し,翌年春ハバナに集結して帰航した。1660年までの約160年間に,ヨーロッパの銀保有量のおよそ3倍に当たる1600万kgの銀がスペインのセビリャ港に到着した。その40%くらいは王室の取り分であったといわれるが,これらの銀の大半は輸入品の支払や借金の返済のために国外へ流出した。17世紀初めまでにヨーロッパでは物価が2~6倍ほど上昇した(価格革命)が,大量のアメリカ銀の流入もその原因の一つである。スペインのペソpeso銀貨(スペイン・ドル,メキシコ・ドルと呼ばれる)の鋳造額は,とくにメキシコに鋳造局が設立(1535)されると飛躍的に増加した。これは南北アメリカとヨーロッパで広く流通したばかりでなく,大幅な輸入超過の対アジア貿易の支払手段として大量にアジア諸国へ流出した(洋銀)。たとえばマニラのスペイン商館から明末・清初の中国へ200万~300万ドルのスペイン・ドルが流出している。イギリス東インド会社のインド貿易もヨーロッパからの銀貨流出のルートであり,のちに開かれる同社の中国貿易もスペイン・ドルで茶を買い付ける形をとっていた。このように,最初は貿易通貨としてアジア諸国に大量に流入していたスペイン・ドルは,やがて国内で流通するようになり,アジア諸国における近代的貨幣制度の確立を促進する役割を果たした。

 銀は燭台や食器にも利用された。高位者の遺産目録には中世から散見されるが,銀の燭台はルネサンス末期から,とくに宮廷・サロン文化の全盛の17~18世紀に,室内装飾を兼ねて上流階級に愛好された。あるイギリス人旅行者は1608年,イタリアには食事の際に鉄製,ときには銀製の小さい熊手(フォークのこと)を使うという〈他のキリスト教国の知らない風習がある〉と報告している。食器の使用が普及するのも17世紀以降で,銀の食器はロココ文化や19世紀のブルジョア文化の時代にステータス・シンボルとして愛好された。
執筆者:

銀は古くから金に次ぐ貨幣素材として重視されてきたが,古くはむしろ実際の取引はもっぱら銀貨によって行われていた。取引が大量となるにつれ価値のより大きい金が実際取引の手段として鋳造されるに至ったのである。しかし金銀比価が一定不変であるかぎりは,金によっても銀によっても取引当事者にとって損益はないが,両者の市場比価が変動すれば事情は異なる。しかも両者の生産条件,生産量,需給事情は等しくないから実際問題として市場比価は一定しない。金銀複本位制度は法律をもって両者の一定比価での自由兌換(だかん)を認め,これによって市場比価を公定比価に一致させようとした制度で,19世紀の後半までは多数諸国が複本位制を採用することによって金銀比価はほぼ一定に維持され,銀はたんなる補助貨幣としてでなく,本位貨幣の地位を維持しえたのである。

 しかしこのころより銀産出高の増加は著しく,かつ1873年ドイツの金本位制度採用以後,銀価の低落はさらに顕著となり,複本位制の維持がいよいよ困難となるや,銀本位制の維持を利益とする諸国,および銀本位制の廃止によって致命的打撃を受けるアメリカの銀産業者などの銀本位制擁護運動は激しくなった。銀問題はかかる内容をもって生起したものであり,アメリカ,フランス,中国においてとくに深刻であった。1876年アメリカ議会に設置された銀委員会は,銀価の低落は銀貨の鋳造減少によるもので供給増加によるものでないこと,金のみを貨幣とする制度は貨幣の過少によって恐慌を必然化することなどの理由をあげて,国際的に複本位制の維持に努めるべき旨を答申した。ラテン貨幣同盟の主体であり,長く複本位制をとり,国内に多量の銀を有するフランスも,1878年,81年両度のパリでの国際貨幣会議,さらにヨーロッパ以外のインド,メキシコの代表をも加えた92年のブリュッセル会議を主催して各国に呼びかけたが,複本位制維持の意図は無効に終わった。

 各国の金本位制への移行により,アメリカは銀価低落防止の目的で銀買上げ政策を実施した。銀本位制を採用しつづけた東洋諸国も銀価下落の影響を受け,なかでも中国から銀が激しくアメリカに流出したのが問題化し,ここに中国もまた1933年ついに両を廃して元を採用し,35年元を金に結びつけ,イギリスの借款を得て金為替本位制に移ることを余儀なくされるに至った。
貨幣
執筆者:

《日本書紀》674年(天武3)対馬島貢銀の記載が文献上の産銀の初見である。対馬の銀坑は長崎県対馬市の旧厳原町樫根の地といわれるが,ここが古代から中世までほとんど唯一の銀山である。金が中世末まで日本の重要な輸出物であったのに対し,銀の産出は乏しく中国より輸入された。平安末以後,記録に南挺,南鐐などとみえるのは,輸入の中国銀で1個50両(1875g)ほどの銀錠が普通であった。16世紀中ごろから急に金銀山が開発され,とくに産銀の増加が著しくなった。その先駆をなしたのは石見銀山で,1533年(天文2)山元で新製錬法に成功した。古代の銀製錬は鉛,硫黄その他の物質を徹底的に酸化して銀を残留させる酸化製錬法であったが,新製錬法は大陸系で,銀鉱に鉛を加え貴鉛をつくり灰吹法で銀を採る法で,近世を通じ全国に流布した。42年但馬国生野銀山が開かれ,前後して山陰,山陽,北陸,つづいて奥羽の諸銀山が採掘された。とくに佐渡の相川鉱山は17世紀前半期に国内で最高の産銀をみた。

 中世の日本の金銀比価はほぼ1対5~6,中国では12,13世紀に1対13ほど,14世紀末~16世紀初めに1対5~6,朝鮮では15~16世紀に1対10ほどである。16世紀中ごろより増産のため日本の金銀価格は下落し,とくに銀価は安く,同世紀後期では金銀比価はほぼ1対10となり,金銀貿易に転換が起こった。朝鮮からは15世紀中はきびしい取締りを犯して銀が輸入されたが,1538年ごろより日本より多量の銀輸出が始まる。このころから中国船の来航貿易が発展するが,彼らの最大の目標は日本銀にあった。次いでポルトガルの日本貿易がおこるが,これは日本銀と中国商品の仲介貿易をおもな内容とした。のちのオランダの貿易を含めてヨーロッパ人の日本貿易は日本の銀を輸出し,中国や南方各地の物資を日本へ輸入する点に中心があった。中国では16世紀後半から17世紀にかけ金銀比価は1対7~8であったが,1640年(寛永17)ころには1対13となり日本とほぼ同様となった。金は16世紀後期から次世紀前半まで,生糸,絹織物に次ぐ中国よりの重要輸入物であった。同期間に東南アジア各地では日本に対し金輸出・銀輸入は中国のそれ以上に有利であった。16世紀以来の日本の外国貿易の拡大発展は銀の画期的量産がこれを可能としたというべく,輸出の多い年はおそらく200tを前後したであろう。鎖国後も中国・オランダ船による巨額の銀流出が続き,しかも17世紀中ごろには金銀とも産出が減少する。1668年(寛文8)銀輸出を禁止し,まもなく中国へのみこれを解除した。オランダ船の小判輸出はこのころ増加するが,銀はやはり重要な輸出物であり,85年(貞享2)貿易銀高の制限と銅輸出の増大により金銀の流出は抑制できた。しかしこの後も朝鮮へはかなりの量の銀輸出が続いた。

 16世紀以来秤量貨幣として銀流通が発達した。古代には銀の秤量は令に定められ,唐制の大称の斤・両・銖が行われたが,鎌倉時代から1両=4匁3分の法がみられる。銀1枚は10両=43匁である。銀の貨幣的流通が盛んになると貫匁法を一般に用いたが,1枚=43匁はのちまで慣用された。16世紀後期に都市には金銀の両替,吹替,秤量などを営業とする金屋(かねや),銀屋,天秤屋が現れ,各自の極印を打って保証した定位の判金,極印銀をも鋳造した。徳川氏は1601年(慶長6)大黒常是の極印銀を採用して彼を銀座の吹人に任用した。慶長の丁銀,豆板銀がこれである。当時は諸藩,諸地域で鋳造された極印銀も多く,灰吹銀とともに通用していて,その範囲や量は判金,玉金などより広くまたはるかに多い。これら諸領域の金銀貨が幕府の貨幣に統一されるのは17世紀末である。95年(元禄8)以後銀貨の改鋳もしばしば行われたが,みな秤量貨幣である。1765年(明和2)に五匁銀を造り,12枚をもって金1両にあて用いさせたが,これは銀貨の計数貨幣の初めであり,そののち一分銀,二朱銀,一朱銀など数種が発行された。

 明治政府は生野銀山などを官行とし,また採鉱・製錬法にも西洋の新技術を導入したが,産銀高では明治期は近世初期の盛時にはとうてい及ばなかった。明治初期に銀山では佐渡,生野,神岡,半田(福島県伊達郡桑折町),院内,倉谷(金沢市)が,明治末期に椿(秋田県山本郡八峰町),小坂,生野,佐渡,神岡があった。大正以後は佐渡,鯛生(たいお)(大分県日田市),山ヶ野(鹿児島県霧島市),串木野などが金銀山として重要である。19世紀後半に金本位制が世界を支配するに至るまで,銀は無制限法貨として世界各国に流通した。日本も1897年の貨幣法制定までは事実上銀本位制の支配下にあった。銀は日本でも古くより像器などに利用されたが,近代では補助貨幣として鋳造されるほか,電鍍,各種装飾品の製造および合金の材料として用い,また食器具製造などのため需要も増加した。工業用需要の増加が大きく1959年以降純輸入国になっていることは既述のとおりである。
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普及版 字通 「銀」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 14画

[字音] ギン
[字訓] しろがね

[説文解字]

[字形] 形声
声符は艮(こん)。〔説文〕十四上に「白金なり」とあり、銅を赤金という。列国期の中山王陵諸器に、金銀の象嵌を加えた精巧な器が多い。銀は金文にみえず、〔書、禹貢〕に「鐵(きうてつ)銀鏤(ぎんる)」の名がある。

[訓義]
1. しろがね。
2. 銀貨、銀印。
3. 白くてつやがあるもの。雪などをもいう。
4. 垠と通じ、かぎり。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕銀 之路加(しろかね) 〔名義抄〕銀 シロカネ

[熟語]
銀鞍・銀印・銀液・銀円・銀鴨・銀甕・銀・銀屋・銀花・銀華・銀・銀河・銀海・銀塊・銀・銀漢・銀管・銀環・銀亀・銀器・銀櫃・銀宮・銀杏・銀窟・銀庫・銀工・銀行・銀缸・銀・銀・銀・銀号・銀毫・銀沙・銀鎖・銀釵・銀索・銀・銀子・銀糸・銀紙・銀匙・銀字・銀朱・銀笋・銀書・銀鈔・銀縄・銀燭・銀色・銀信・銀青・銀・銀蟾・銀・銀・銀台・銀竹・銀冑・銀釘・銀泥・銀黏・銀・銀濤・銀鐙・銀・銀盃・銀・銀盤・銀・銀瓶・銀母・銀榜・銀鑰・銀葉・銀両・銀糧・銀輪・銀・銀縷・銀礫・銀炉・銀漏・銀・銀湾
[下接語]
金銀・貢銀・黄銀・湿銀・純銀・銷銀・燭銀・水銀・精銀・丹銀・鋳銀・雕銀・賃銀・銅銀・白銀・餠銀・冶銀・洋銀・鎔銀・爛銀・路銀・労銀

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化学辞典 第2版 「銀」の解説


ギン
silver

Ag.原子番号47の元素.電子配置[Kr]4d105s1の周期表11族遷移元素.原子量107.8682(2).質量数107(51.839%),109(48.161%)の2種の安定同位体と,93~130に至る放射性同位体が知られている.元素記号はラテン語名argentum(元はギリシア語のαργυρο[argyros])から.宇田川榕菴は天保8年(1837年)に出版した「舎密開宗」で,これを音訳して亜爾健母(アルケンチユム)としている.
銀は金よりかなり遅れてB.C.1500年ころより知られ,最初は金よりも貴ばれた時代もあった.日本は歴史的には有数の銀産出国で,16,17世紀では世界最大の輸出国であった.日本書紀に,天武3年(675年)対馬の国から天武天皇へ銀(しろがね)献上と記載されている.世界遺産に登録された石見銀山は大永6年(1526年)開坑,生野銀山は平安時代に発見され,天文11年(1542年)本格的開坑である.日本の銀山は資源枯渇,採掘採算性悪化からすべて閉山(石見銀山は昭和18年,生野銀山は昭和48年)された.遊離の状態でも産出するが,おもな鉱石として輝銀鉱Ag2Sがあり,ほかに輝銅鉱,方鉛鉱などに伴っても産出する.これらをあわせての主要産出国はペルー,メキシコ,中国,オーストラリアなど.世界の産銀量20000 t 弱(2006年)のうち,ペルー3200 t,メキシコ3000 t で30% 以上を占める.埋蔵量ではポーランド,中国,アメリカ,メキシコ,ペルーなど.地殻中の存在度0.08 ppm.銀鉱石中の銀分は少ないので,希薄なシアン化カリウムを用いる青化法か,水銀でアマルガム化する混コウ(汞)法が用いられる.粗銀は電解法で精製される.現在は,主として,銅,鉛,亜鉛の精錬過程で副産物として生産される.日本の場合も,海外から輸入される銅,鉛,亜鉛鉱石が主要原料で,銅,鉛,亜鉛電解精錬の際の陽極泥を電気炉などで酸化して貴金属以外を取り除き,電極を形成して電解精錬する.銀白色のかなり軟らかい金属で,格子は面心立方格子.展延性は金に次ぐ.密度10.50 g cm-3(20 ℃),9.4 g cm-3(融点の液体).融点961.93 ℃(温度定点の一つの銀点),沸点2210 ℃.定圧モル熱容量25.49 J K-1 mol-1(25 ℃).線膨張率0.193×10-4 K-1(0~100 ℃).熱伝導率427 W m-1 K-1(27 ℃).融解熱11.3 kJ mol-1(962 ℃).蒸発熱254 kJ mol-1(2193 ℃).電気抵抗率1.59×10-6 Ω cm(20 ℃).標準電極電位(Ag/Ag)0.799 V.第一イオン化エネルギー730.8 kJ mol-1(7.576 eV).金属のうちで電気抵抗率は一番小さく,熱伝導率は一番大きい.希塩酸,希硫酸に不溶,熱濃硫酸に易溶で,この性質は,合金から金,白金との分離に用いられる.空気中で加熱しても変化しないが,オゾンとは反応してAg2O2を生じ,硫黄や硫化水素では黒色の硫化銀Ag2Sができる.硝酸に易溶.空気中で熱して溶融した銀は多量の酸素を溶かす.通常の酸化数1,まれに2,3のものが知られている.おもな用途は,写真感光材料,電気部品用(接点など),装飾品,銀ろう,歯科材料,抗菌材料など.写真用がもっとも多いが,デジタルカメラ普及により年々減少している.銀およびその水溶性化合物はPRTR法・第一種指定.作業環境許容濃度1,生態毒性1.[CAS 7440-22-4][別用語参照]銀化合物

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百科事典マイペディア 「銀」の意味・わかりやすい解説

銀【ぎん】

元素記号はAg。原子番号47,原子量107.8682。融点961.78℃,沸点2162℃。貴金属元素の一つ。古代から財宝,装飾品に用いられ,メソポタミアのウルク文化(前3400―前3100ころ),エジプトのゲルゼー文化(前3400―前3000ころ)の出土品に,銀製の装飾品が発見されている。日本では,《日本書紀》(674年)に対馬島貢銀の記載が文献上の産銀の初見である。銀白色の金属で,展延性は金に次いで大。電気・熱の伝導性は金属中最大。空気中で安定であるが,硫化水素やオゾンで黒変,硝酸,王水には可溶。加工性その他が良好なので,貨幣,装飾品,機械,器具などに用いられ,めっきの用途もひろい。電気や熱の伝導性にすぐれているので,電子部品や精密機器への用途が増えている。またハロゲン化銀は写真感光材料として重要。天然に遊離して存在するほか,輝銀鉱,硫銅銀鉱,硫ヒ銀鉱などが主要鉱石であるが,大量に産することはまれで,多くは銅,鉛,亜鉛などの鉱石に幾分含まれ,これらの副産物として得られる。主産地はメキシコ,米国,カナダ,チリ,ペルーなど。年生産量は約1万3900t(1992)。
→関連項目サカテカス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銀」の意味・わかりやすい解説


ぎん
silver

元素記号 Ag ,原子番号 47,原子量 107.8682。周期表 11族,銅族元素の1つ。自然銀として遊離の状態で産することもあるが,主として輝銀鉱などの硫化鉱物として産出する。地殻にも比較的均一に分布し,平均含有量は 0.08ppm,海水中の存在量 0.3 μg/l 。単体は銀白色の光沢ある金属で,融点 960.5℃,比重 10.5。金属のなかで電気および熱の伝導度が最も大きく,展性,延性は金に次いで大きい。化学的には比較的安定であるが,硝酸,熱硫酸と反応する。原子価は1価。化学用器具,貨幣,装飾品,感光材料,合金の製造などに用いられる。銀の使用は金よりいくぶん遅れ,メソポタミアではウルク期,エジプトではゲルゼー初期からであるが,自然銀がわずかで,精錬法がめんどうなため発達も遅かった。一般化するのは,ギリシア,ローマ時代からで,中国での使用も金より遅れて東周時代のことである。日本では5世紀頃に製品や工人の渡来があったものと考えられる。産銀の記録は,産金より早く,『日本書紀』にみられる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「銀」の解説

銀(ぎん)

洋の東西を問わず古来,金に次ぐ貴金属として,装飾および貨幣として用いられた。16世紀にスペイン人がアメリカ大陸を征服しメキシコや南アメリカに豊富な銀鉱を発見して以来,アメリカ大陸から大量の銀がスペインをへてヨーロッパ諸国に流入し,物価上昇をもたらしたが,ヨーロッパ人のアジア貿易参入とともに,中国にも流入した。日本は近世においては銀の輸出国であった。銀は多数の国で金とともに基本貨幣として用いられたが,19世紀後半にイギリスを中心とする国際通貨体制が発達するとしだいに金本位制に統一された。そのことは銀の国際価格の下落を招き,19世紀後半に銀産出量がふえたアメリカでは,19世紀末には「フリー・シルバー」運動が展開された。20世紀には工業用材料としての銀需要が著しく増大した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「銀」の解説


ぎん

第Ⅰ族(銅族)に属する銀白色の金属
古来15世紀までは,対馬が唯一の産地で,産出も少なく,中国銀を輸入していた。16世紀半ばから戦国大名の開発と銀精錬法の改良で,石見大森(島根県)・但馬 (たじま) (兵庫県)生野銀山をはじめ全国的に開発され,産額は激増し,中国を除く世界銀生産の30%を生産。南蛮貿易など外国貿易で輸出品の首位を占め,ぼう大な量が海外に流出した。しかし,17世紀半ばから産額は減少し,以後江戸幕府は輸出の禁,もしくは制限を加えた。江戸時代は秤量 (ひようりよう) 貨幣として銀座で銀貨を製造。19世紀,世界的な銀の増産で本位貨幣としての地位を失い,日本でも明治維新後採鉱技術の近代化により増産が行われた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【貨幣】より

…このことは,後に述べるように,貨幣の制度が発展した現代の経済においてもまったく同様にあてはまることである。 貨幣経済の発達は,商品貨幣から,銀行券,政府紙幣のようなそれ自体の使用価値はほとんどまったく存在しない表券貨幣へという移行を伴っているが,この表券貨幣が貨幣として流通しうるのも,上に述べた信認が存在するからである。表券貨幣に対するこの信認を維持するためのくふうとしてとられたのが,表券貨幣の裏づけとして,商品貨幣を位置づけるという本位制度であった。…

【貴金属】より

…金属を分類するときの用語の一つで,卑金属に対する語。通常は,金Au,銀Ag,および白金族元素のルテニウムRu,ロジウムRh,パラジウムPd,オスミウムOs,イリジウムIr,白金Ptをいう。化学的には,単体として産し,イオン化傾向が小さく,酸類などとは直接反応しにくく,空気中では酸化されにくい,ということで,上記の金属以外に銅Cuおよび水銀Hgをも含めていうのが普通である。…

【銀】より

… 原子記号のAgは,ラテン語のargentumで,〈輝く〉という意味のギリシア語argosに由来する。フランス語のargentはラテン語から,英語(ドイツ語)のsilver(Silber)はアッカド語の銀sarpuからきたといわれる。日本では古く白金(しろがね)と呼んで五色の金(かね)の一つであった。…

【銀鉱物】より

…銀を含む鉱物の総称。銀を数%以上含む鉱物は約60種知られている。…

【サカテカス】より

…人口10万(1990)。サカテカス山脈の谷間,標高2612mに位置する鉱山都市で,銀,鉛,スズ,銅をおもに産出。1548年に建設され,銀山開発とともに発展し,85年には市になった。…

【対馬島】より

…国府・国分寺は現下県郡厳原(いづはら)町にあった。674年(天武3)の貢上以来,銀が特産物であり,《延喜式》でも調として貢納が義務づけられた。701年には金を貢上し,大宝の年号が建元されたが,この冶金は虚偽であったともいう。…

【鉛】より

…周期表元素記号=Pb 原子番号=82原子量=207.2地殻中の存在度=12.5ppm(35位)安定核種存在比 204Pb=1.40%,206Pb=25.1%,207Pb=21.7%,208Pb=52.3%融点=327.5℃ 沸点=1744℃比重=11.3437(16℃)水に対する溶解度=3.1×10-4g/l(24℃)電子配置=[Xe]4f145d106s26p2おもな酸化数=II,IV周期表第IVA族に属する金属元素。太古から知られていた元素(古代七金属)の一つで,古代エジプトの遺跡から鉛のメダルなどが発見されており,鉛はおそらく有史以前から,金,銀とともに,金属の形で取り出されていたと思われる。ローマ遺跡には鉛製の水道管がまだ使用できる状態で存在し,2000年も経た古い鉛の装飾品も世界各地から発見されている。…

【日朝貿易】より

…公木の換米は,その後,量が追加され,また残りの公木も,日本の綿業発達によって国内に運んでも利益が薄くなったことから,いったん受け取ったうえで,私貿易において再輸出されることが多くなった。
[私貿易の隆盛と銀の流出]
 私貿易は,月の3と8のつく日に計6回,倭館の開市大庁で市が開かれ,貨物が多く集まれば別市が開かれた。朝鮮商人と,対馬の役人や商人との相対取引であるが,品目・数量の制約がなく,また兼帯の制成立後,貨物輸送が合理的になったため,しだいに取引量が増加していった。…

【明】より

… 租税制度は,当初唐代以来の両税法をうけつぎ,田賦を夏税秋糧,略して税糧と称した。米麦を中心とする現物徴収が原則であったが,中期以降はしだいに銀納化が進行した。田賦以外では,課程と総称される消費税的なものが何種類もあったが,その中では塩課が最も大きかった。…

※「銀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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