金城一国斎(読み)きんじょう・いっこくさい

朝日日本歴史人物事典 「金城一国斎」の解説

金城一国斎(初代)

没年嘉永4.4.4(1851.5.4)
生年:安永6(1777)
江戸後期の漆工本名沢木正平,無双と号す。伊勢(三重県)松坂白粉町の出身で,大坂で漆技を修業し,文化8(1811)年名古屋に移り伝馬町または関鍛冶町に住した。尾張徳川家小納戸御用塗師となり,金城一国斎を名乗る。享年75歳(一説に69歳),名古屋の光明寺に葬られる。 初代には3子があり,各々が一国斎と称した。①長子は中村義之。生没年不詳。大坂に住した(第1回内国勧業博覧会審査評語)。②次子は中村一作(一説に正作)。生没年不詳。漆技研究のため尾張藩を出奔し諸国を遍歴して高盛絵を考案した。一時長州(萩)藩に召し抱えられるが,天保14(1843)年ごろ,広島で木下兼太郎に漆技と一国斎の名を伝え,その後の消息は不明。③末子は沢木常助。文政5(1822)年生まれ,明治8(1875)年没。名古屋関鍛冶町に住し業を継いだ。 3代一国斎は上述の木下兼太郎。文政12(1829)年生まれ,大正4(1915)年6月2日没。春月と号した。広島江波村の陶工池田金五郎の長男に生まれ,天保年間(1830~44)に中村一作に漆技を学び,堆彩漆に長じ名声を博した。広島市光円寺に葬られる。<参考文献>広島城編『漆芸一国斎展/図録』,『近代日本の漆工芸

(内田篤呉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「金城一国斎」の解説

金城 一国斎(5代目)
キンジョウ イッコクサイ

昭和期の漆芸家



生年
明治39(1906)年7月24日

没年
平成3(1991)年8月3日

出身地
広島県

本名
池田 勝人

経歴
赤塚自得に師事して金蒔絵を習得し、のち父の4代目金城一国斎に高盛絵を学ぶ。昭和36年5代目を襲名した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金城一国斎」の解説

金城一国斎(3代) きんじょう-いっこくさい

1829-1915 幕末-明治時代の漆工。
文政12年生まれ。江波(えば)焼の陶工池田金五郎の長男。2代一国斎から秘法をうけ,郷里の安芸(あき)江波村(広島市)で業をいとなむ。3男池田亀吉が4代をつぎ,勝人(かつと),長昭(ながあき),昭人(あきと)につたわる。一国斎高盛絵(たかもりえ)・金蒔絵(きんまきえ)は昭和29年広島県無形文化財に指定された。大正4年6月2日死去。87歳。姓は木下。名は兼太郎。別号に春月。

金城一国斎(2代) きんじょう-いっこくさい

?-? 江戸時代後期の漆工。
初代金城一国斎の次男。名古屋藩をはなれて各地を歴訪,堆朱(ついしゅ),堆黒(ついこく),存星(ぞんせい),鎌倉彫の技法をまなび,高盛絵(たかもりえ)を創案した。一時萩(はぎ)藩につかえたが,大坂で業をいとなみ,広島で木下兼太郎(のちの3代)に技法をつたえた。流浪の旅に出,別府で死去したともいう。姓は中村。名は一作(かずさく)。通称は市郎右衛門。

金城一国斎(初代) きんじょう-いっこくさい

1777-1851 江戸時代後期の漆工。
安永6年生まれ。大坂で技法を修得,名古屋藩主徳川家の御用塗師(ぬし)となる。名古屋城の通称にちなんで,金城一国斎と名のった。嘉永(かえい)4年4月4日死去。75歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。姓は沢木。名は正平。別号に無双。

金城一国斎(5代) きんじょう-いっこくさい

1906-1991 昭和時代の漆芸家。
明治39年7月24日生まれ。赤塚自得に師事して金蒔絵(きんまきえ)を習得し,のち父の4代金城一国斎に高盛絵(たかもりえ)をまなぶ。昭和36年5代を襲名した。平成3年8月3日死去。85歳。広島県出身。本名は池田勝人。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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