出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
江戸後期の兵学者。名は強、通称俊三郎のち春山、童浦と号す。三河田原(たはら)藩の藩医の家に生まれ、初めは医学、ついで儒学を修めた。1826年(文政9)九州方面を遊歴し、帰国後30年(天保1)藩主三宅康直の侍講となり、35年藩主に随行して出府、同郷の渡辺崋山(かざん)と親交を結び、高野長英ら蘭学者と相識り、国防意識を強めた。41年出府してアヘン戦争の勃発を知り、断然医を廃して西洋兵学の研究に専念し、ブラントの三兵戦術書の蘭訳(らんやく)本などの訳述中に急逝した。
日本最初の三兵戦術の紹介書『兵学小識』(1844)、遺著となった『三兵活法』(未完、門人藤井静加校、1855刊)および『海上攻守略説』(年次不明)の3種が有名である。
[渡邉一郎]
『佐藤堅司編『鈴木春山兵学全集』上中下(1937・八絋会)』
(岩崎鐵志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸末期の医師,兵学者。名は強。田原藩医。幼いころ岡崎の医師浅井朝山に学ぶ。1826年(文政9)から3年間九州を遊歴し,広瀬淡窓の咸宜園に入塾。帰国後藩校教授を兼ねた。35年(天保6)出府して同藩の渡辺崋山と交わり,高野長英にオランダ語を学んだ。アヘン戦争の衝撃で西洋兵学の研究を志し,そのころ脱獄した長英を江戸麻布の裏店に潜伏させて,兵書翻訳を助けさせた。訳著書に《兵学小識》《三兵活法》などがある。
執筆者:佐藤 昌介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…原典はプロイセンの陸軍将校ブラントの三兵戦術書の蘭訳本で,〈答古知幾〉はオランダ語の戦術taktiekの音訳。44年に脱獄して,田原藩医鈴木春山の庇護の下に江戸市中に潜伏中の長英が,春山の没後,彼の遺志を継いで翻訳を完成した。これにより歩・騎・砲の3兵科の共同による三兵戦術の体系がはじめて日本に紹介された。…
※「鈴木春山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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