長岡天満宮(読み)ながおかてんまんぐう

日本歴史地名大系 「長岡天満宮」の解説

長岡天満宮
ながおかてんまんぐう

[現在地名]長岡京市天神二丁目

神域東側に南北に細長く八条はちじようヵ池があり、池のほぼ中央部を横切るかたちで中堤と石橋参道がある。参道周辺などに数百本の霧島つつじがあり、なかには樹齢一五〇年を超すものがあって市の保存樹林に指定されている。祭神菅原道真。旧府社。例祭一〇月九日。明治三年(一八七〇)一二月の中小路弘人・中小路駒雄・宮仲間一統の連署による由緒書上(社蔵)によれば、草創年紀は不詳。社地は菅原道真の采地であったと伝え、道真の一族中小路・東小路・西小路の三家が聖廟を祀ったのが始まりという。右三家とも道真とともに配所に下ったが、一寸八分の道真手づくりの像と護持本尊をもって帰洛し、西小路・東小路両家が絶家したあと小像は中小路家に伝わり、元禄三年(一六九〇)本殿に合祀したこと、本殿には古くより祀る三尺五寸の神体があるが作者未詳であること、道真左遷にあたりこの地に立寄り、腰かけた石を見返り岩といい、当社の別名「見返り天神」もこの縁によることなどを記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長岡天満宮」の意味・わかりやすい解説

長岡天満宮
ながおかてんまんぐう

京都府長岡京市開田に鎮座。俗に「長岡の御社(おやしろ)」「見返り天神」という。菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る。1498年(明応7)中小路宗数(なかこうじむねかず)の創建伝承。近世以降、鎮座地の関係で八条宮家より厚い崇敬を受け、1690年(元禄3)社殿造営遷宮の際に勅使・院使が下向(げこう)、以後皇室からも崇敬、保護された。旧府社。例祭10月9日。

[鎌田純一]


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世界大百科事典(旧版)内の長岡天満宮の言及

【長岡京[市]】より

…北部山麓の粟生(あお)には鎌倉時代に開かれた西山浄土宗総本山の光明寺がある。中央部には菅原道真をまつる長岡天満宮があり,ツツジの名所として知られる。小畑川の西岸にあった勝竜寺城は,応仁の乱の際,この地域における西軍の拠点であった。…

※「長岡天満宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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