デジタル大辞泉
「関一」の意味・読み・例文・類語
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関一 (せきはじめ)
生没年:1873-1935(明治6-昭和10)
都市政策研究の先駆者,大阪市長。静岡県生れ。東京高等商業学校(現,一橋大学)卒業。1897年に母校の教授となり,ベルギー留学を経て鉄道論・交通政策の権威として知られ,日露戦争後は社会政策の研究に集中し《労働者保護法論》(1910刊)などを著した。1914年にその学識を買った池上四郎市長の招きで大阪市助役となり,23年以後亡くなるまでの3期間大阪市長を務めた。この間に大阪港,御堂筋,地下鉄など社会資本の拡充をはかるとともに,公設市場,市営住宅,市民館の設置など都市社会政策の発展に尽力した。また《住宅問題と都市計画》(1923刊)をはじめ数多くの論文を発表した。
執筆者:芝村 篤樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
関一
せきはじめ
[生]1873.9.26. 伊豆
[没]1935.1.26. 大阪
社会政策学者,都市経済学者,大阪市長。 1893年東京高等商業学校 (現一橋大学) 卒業後,大蔵省入省。 94年神戸商業学校教諭,96年新潟市立商業学校校長を経て,97年東京高等商業学校教授。 98~1901年ベルギー,ドイツに留学,社会政策,交通政策を学ぶ。 09年高等商業学校専攻部廃止に抗議し依願免官,11年復職。 14年戸田海市の推薦により大阪市助役。 17年都市改良計画調査会を設置し,御堂筋建設に尽力。 23年大阪市長,27年第1回全国都市問題会議を主催。一貫して社会改良主義的社会政策を主張,憲政会=民政党の緊縮財政路線に反対し,工業近代化,産業振興の路線をとった。著書に『工業政策』 (1911~13) ,『住宅問題と都市計画』 (23) など。
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関一 せき-はじめ
1873-1935 明治-昭和時代前期の経済学者,政治家。
明治6年9月26日生まれ。母校東京高商(現一橋大)の教授をつとめ,大正3年大阪市助役となり,12年市長(3期)。大阪港,御堂筋(みどうすじ),地下鉄,中央市場,市営住宅の整備・建設などにつくした。貴族院議員。昭和10年1月26日死去。63歳。静岡県出身。著作に「住宅問題と都市計画」など。
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世界大百科事典(旧版)内の関一の言及
【都市問題】より
…その中心人物[C.ビアード]が東京市長[後藤新平]に関東大震災の前後2回招かれ,その成果を日本に伝え,雑誌《都市問題》の創刊(1925)にも寄与した。さらにこの前後の日本では,大正デモクラシーの名に伴う形で後藤を助けた池田宏や大阪の名市長関一をはじめ多くの人材が出て,上記のような問題の把握からする都市計画の推進や,新しく広がる失業・貧困に対する社会政策事業の拡大を唱えた。 こうして開明的立場から新しく合理的,能率的な都市計画の推進,社会保障事業の拡大を主張したが,地主等旧勢力の反対で十分成果をあげぬうち,昭和の全体主義,戦争経済へと突入してしまい,こうした主張や運動も進める余地がなくなってしまった。…
※「関一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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