大阪市の西端、淀(よど)川の河口に設けられた市営港。港域は、北は尼崎(あまがさき)市との境を流れる中島川河口から、南は堺(さかい)市との境にある大和(やまと)川河口までの大阪湾岸の海域と、その間の河川の河口部が含まれる。大阪市が管理する港湾区域4856ヘクタールには安治(あじ)川内港、天保山(てんぽうざん)運河、大正内港、木津(きづ)川運河などの水域があり、その他の管理区域には、商港区、工業港区、マリーナ港区などの臨港地区1826ヘクタールの陸域が含まれる。
2015年(平成27)の入港船舶は2万2583隻(1億0370万トン)で、外航5242隻(7088万トン)と内航1万7341隻(3282万トン)になる。取扱貨物は外貿3465万トン(うちコンテナ貨物3018万トン)と内貿4531万トン(うちフェリー貨物2923万トン)を数え、輸移入貨物5023万トンに対し輸移出貨物2973万トンと、内国交易港、工業港としての性格が強いといえる。
昔の航路標識「みおつくし」を市章にする大阪は、港とともに発達してきた。1868年(慶応4)7月15日、安治川河岸に川口運上所が開かれ、開港したが、河床が浅く、外国貿易船の出入が困難であったため、市民による築港運動が起こった。オランダ人デ・レーケJohannes De Rijke(1842―1913)が設計した第一次修築工事が、1897年(明治30)10月17日天保山で始められたが、当時の市予算の二十数倍の工費が計上され、1903年(明治36)7月1日、築港大桟橋(現、中央突堤付近)ができた。第一次世界大戦の好景気と大阪の産業・貿易の発展を背景に、1929年(昭和4)7月25日に第二次修築工事にとりかかり、北港、南港の建設も進められた。1937~1939年には第二次世界大戦前の最盛期を迎え、取扱貨物量日本一を誇った。しかし、第二次世界大戦の空襲、相次ぐ台風、地盤沈下などにより、壊滅的な打撃を受けた。戦後、大阪経済の復興とともに港勢が上昇し、今日の姿になった。
現在大阪港には、コンテナ埠頭(ふとう)、ライナー埠頭、フェリー埠頭、食品埠頭や、天保山客船ターミナル、南港航空貨物ターミナルなど、物、人の流れに即応する施設が整えられている。また、咲洲(さきしま)(南港)のコスモスクエア地区には、大阪府咲洲庁舎やアジア太平洋トレード・センター(ATC)などがある。
一方、大阪南港魚つり園護岸、野鳥園臨港緑地、大阪北港マリーナをはじめ、天保山ハーバービレッジ(海遊館、大阪文化館・天保山、マーメイド広場、大観覧車など)、舞洲(まいしま)スポーツアイランド(野外活動センター(ロッジ舞洲)、新夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)など)が整備され、ユニバーサルスタジオ・ジャパンの建設とともに、市民に親しまれるベイエリアの再開発が進められてきた。1997年(平成9)10月に開通した大阪咲洲トンネルは、これらの施設の利用を便利にした。
[位野木壽一・安井 司 2018年9月19日]
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