国文学者。江戸日本橋に、幕府御用を勤め文人でもあった只誠(しせい)(1825―1893)の子として生まれた。1886年(明治19)東京大学古典講習科卒業。『古事類苑(こじるいえん)』の編集に従事したのち、華族女学校(後の学習院女学部)、学習院、東京女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)などの教授を歴任。文学博士(1909)、帝国学士院会員(1928)。大槻文彦(おおつきふみひこ)没後、『大言海』の完成に尽力したほか、早くから故実・考証に努め、『宮殿調度図解』『公事(くじ)根源釈義』などの著作がある。ほかに『大鏡新註(しんちゅう)』などの中古・中世文学の注解、『国語学参考』などの著書多数。
[林 巨樹 2018年10月19日]
明治〜昭和期の国文学者,教育家,有職故実家 東京女高師教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈国学〉〈歌論〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の芳賀(はが)矢一においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…
※「関根正直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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