デジタル大辞泉
「関根正直」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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関根正直
せきねまさなお
(1860―1932)
国文学者。江戸日本橋に、幕府御用を勤め文人でもあった只誠(しせい)(1825―1893)の子として生まれた。1886年(明治19)東京大学古典講習科卒業。『古事類苑(こじるいえん)』の編集に従事したのち、華族女学校(後の学習院女学部)、学習院、東京女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)などの教授を歴任。文学博士(1909)、帝国学士院会員(1928)。大槻文彦(おおつきふみひこ)没後、『大言海』の完成に尽力したほか、早くから故実・考証に努め、『宮殿調度図解』『公事(くじ)根源釈義』などの著作がある。ほかに『大鏡新註(しんちゅう)』などの中古・中世文学の注解、『国語学参考』などの著書多数。
[林 巨樹 2018年10月19日]
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関根 正直
セキネ マサナオ
明治〜昭和期の国文学者,教育家,有職故実家 東京女高師教授。
- 生年
- 安政7年3月3日(1860年)
- 没年
- 昭和7(1932)年5月26日
- 出生地
- 江戸・日本橋茅場町(東京都中央区)
- 学歴〔年〕
- 帝国大学文科大学(現・東大文学部)古典講習科〔明治19年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔明治42年〕
- 経歴
- 中村正直(敬宇)に私淑して改名。有職故実に詳しく、はじめ「古事類苑」の編纂に参画したのち、華族女学校教授、学習院教授、東京女高師教授などを歴任。また大槻文彦の没後は新村出とともに「大言海」の完成に尽力した。著書に故実についての「有職故実辞典」「禁秘抄講義」「公事根源新釈」「装束甲冑図解」「宮殿調度図解」「服制の研究」、歴史物語の注釈「大鏡新註」「今鏡新註」、考証随筆「からすかご」など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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関根正直 せきね-まさなお
1860-1932 明治-昭和時代前期の国文学者,有職(ゆうそく)家。
安政7年3月3日生まれ。関根只誠(しせい)の長男。「古事類苑」の編集にくわわる。のち学習院,東京女高師(現お茶の水女子大)などの教授をつとめた。学士院会員。昭和7年5月26日死去。73歳。江戸出身。東京大学卒。号は吟風など。著作に「装束甲冑(かっちゅう)図解」「宮殿調度図解」「大鏡新註」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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関根 正直 (せきね まさなお)
生年月日:1860年3月3日
明治時代-昭和時代の国文学者;教育家
1932年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の関根正直の言及
【日本文学】より
…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈[国学]〉〈[歌論]〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の[芳賀(はが)矢一]においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…
※「関根正直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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