中国、春秋時代の呉(ご)の王(在位前515~前496)。呉王餘妹(よまい)(夷昧、夷末。在位前544~527)の子、呉王夫差(ふさ)の父。餘妹についで王となった呉王僚(りょう)(在位前527~515)を殺して即位。伍子胥(ごししょ)、孫武を用いて軍備を整え、前506年大挙して楚(そ)を攻め、都の郢(えい)を陥落させた。ときに越(えつ)が侵入し、秦(しん)も楚を救い、また弟の夫槩(ふがい)がこれに乗じて自立したので、闔閭は帰国し、夫槩を敗走させた。やがて楚は遷都のやむなきに至る。前496年、越王允常(いんじょう)の死を聞いて越を討ち、越王勾践(こうせん)と李(すいり)で戦ったが傷つき、死去した。2年後、夫差は父の仇(あだ)に報い勾践を屈服させた。
[平勢隆郎]
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…中国,江蘇省蘇州市の北西にある古跡。春秋時代,呉の闔閭(こうりよ)王(在位,前515‐前496)の墓址と伝えられる。いまは雲巌寺(うんがんじ)虎丘塔,剣池,千人石などがある。…
…楚国のお家騒動で父と兄とを楚の平王に殺されると,楚より出奔し,諸国をさまよったあと,呉に身を寄せた。呉王の闔閭(こうりよ)が父王を殺して即位するのに力をかして信任を受け,兵法家の孫武とともに呉の国力の充実につとめた。国力をのばした呉は,楚に侵攻し,楚都の郢(えい)を陥(おと)した。…
※「闔閭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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