南京政府(読み)ナンキンせいふ(英語表記)Nan-jing zheng-fu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南京政府
ナンキンせいふ
Nan-jing zheng-fu

中国の中華民国時代に南京を首都とした政府の略称。次の4つがある。 (1) 辛亥革命直後の孫文を臨時大総統とする中華民国臨時政府 (1912.1.~12.3.) ,(2) 蒋介石が武漢の国民政府に対抗して南京に樹立した国民政府 (27.4.~49.4.) ,(3) 梁鴻志を首班とする中華民国維新政府 (38.3.~40.3.) ,(4) 汪兆銘を首班とする国民政府 (40.3.~45.8.) 。これらのうち,(1) (3) (4) は地方政権にすぎず,(2) だけが実質的に中央政府としての内容をもつ。この (2) の南京国府は,1927年4月の蒋介石による反共クーデターの直後に組織され,9月武漢国府と合体,これを吸収し,その後列国の承認を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南京政府
なんきんせいふ

中国において、蒋介石(しょうかいせき)が1927年4月12日反共クーデター(上海(シャンハイ)クーデター)で南京に樹立した政府。国民政府、国府ともよばれ、国民党の独裁政府。27年9月武漢政府が合流し、以後、地方軍閥をほぼ支配下に収め、辛亥(しんがい)革命後最初の実質的中央政府となった。内部の機構は国民政府委員会と五院(行政、立法、司法、監察、考試)に分かれ、名目上、権力は分散していたが、実際はほぼ蒋介石の手中に握られていた。この政府は不平等条約廃棄、幹線交通網の整備などを行い、旧来の軍閥政府にないある種の「近代性」を備えていたが、地方地主層、浙江(せっこう)財閥を基盤にしていたため、国民党「四大家族」〔蒋介石、陳果夫、宋(そう)子文、孔祥煕(こうしょうき)〕への富の集中や、地方地主権力の再建強化を招くなど、古い体質をもっていた。49年12月、この政府は民衆から見放され、国共内戦に敗れて台湾に去った。[阿川修三]

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世界大百科事典内の南京政府の言及

【中華民国】より

…武漢分共により国共合作は完全に崩壊し,共産党は独自に革命の道を歩むことになるのだが,八・一南昌蜂起から井岡山への道がその新たな出発の開始であった。武漢と南京の国民党は若干の曲折を経たのち,南京政府のもとに統合され(寧漢合作,寧は南京の別称),翌28年4月に馮玉祥,閻錫山の協力を得て北伐を再開し,6月には北京を占領した。ここに関内は国民政府の支配のもとにおかれることになった。…

※「南京政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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