中国において、蒋介石(しょうかいせき)が1927年4月12日反共クーデター(上海(シャンハイ)クーデター)で南京に樹立した政府。国民政府、国府ともよばれ、国民党の独裁政府。27年9月武漢政府が合流し、以後、地方軍閥をほぼ支配下に収め、辛亥(しんがい)革命後最初の実質的中央政府となった。内部の機構は国民政府委員会と五院(行政、立法、司法、監察、考試)に分かれ、名目上、権力は分散していたが、実際はほぼ蒋介石の手中に握られていた。この政府は不平等条約廃棄、幹線交通網の整備などを行い、旧来の軍閥政府にないある種の「近代性」を備えていたが、地方地主層、浙江(せっこう)財閥を基盤にしていたため、国民党「四大家族」〔蒋介石、陳果夫、宋(そう)子文、孔祥煕(こうしょうき)〕への富の集中や、地方地主権力の再建強化を招くなど、古い体質をもっていた。49年12月、この政府は民衆から見放され、国共内戦に敗れて台湾に去った。
[阿川修三]
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…武漢分共により国共合作は完全に崩壊し,共産党は独自に革命の道を歩むことになるのだが,八・一南昌蜂起から井岡山への道がその新たな出発の開始であった。武漢と南京の国民党は若干の曲折を経たのち,南京政府のもとに統合され(寧漢合作,寧は南京の別称),翌28年4月に馮玉祥,閻錫山の協力を得て北伐を再開し,6月には北京を占領した。ここに関内は国民政府の支配のもとにおかれることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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