陶希聖(読み)とうきせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「陶希聖」の意味・わかりやすい解説

陶希聖
とうきせい / タオシーション
(1899―1988)

中国の経済史家、政治家。本名は彙曽(いそう)。希聖は字(あざな)。湖北省黄岡(こうこう)県の人。1922年北京(ペキン)大学卒業、1931~1937年同大学教授。1929~1930年の中国社会史論戦において活躍し、1934年『食貨』半月刊誌を創刊、社会経済史の研究で功績をあげた。日中戦争中の1939年汪精衛(おうせいえい)(汪兆銘(おうちょうめい))に従い重慶(じゅうけい)から脱出したが、翌1940年高宗武(こうそうぶ)とともに香港(ホンコン)に逃れ日汪秘密協定を暴露した。ついで重慶に移り、蒋介石(しょうかいせき)の秘書として『中国の命運』を起草した。1943~1952年国民党機関紙『中央日報主筆。1949年台湾に移り党政の要職につくが、1968年引退した。主著として『中国社会の史的分析』『中国政治思想史』『論道集』『陶希聖先生八秩栄慶論文集』などがある。

矢吹 晋]

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改訂新版 世界大百科事典 「陶希聖」の意味・わかりやすい解説

陶希聖 (とうきせい)
Táo Xī shèng
生没年:1899-1988

中国の社会経済史家,評論家。湖北省黄岡県の人。本名は彙曾。希聖は字。北京大学を卒業し,上海で雑誌《新生命》を創刊。のち北京大学などで教鞭をとり,半月刊《食貨》を創刊したり,1930年代,中国の社会の性格をどうとらえるかをめぐる社会史論戦の論客として活躍するなど,中国社会経済史の発展に貢献した。のち重慶で国民党の機関紙《中央日報》の主筆をつとめ,蔣介石著《中国之命運》の代作者ともいわれる。50年に台湾に移り,総統府資政に任じ,また食貨出版社から《食貨》を復刊し,〈食貨史学叢書〉を刊行している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「陶希聖」の解説

陶希聖 とう-きせい

1899-1988 中国の社会経済史家,政治家。
光緒25年9月26日生まれ。母校北京大の教授。1939年汪兆銘(おう-ちょうめい)の対日和平運動にかかわるが,日本側の対応に反発し,翌年高宗武(こう-そうぶ)とともに香港に脱出,新聞に和平案の内容を暴露。以後蒋介石(しょう-かいせき)のもとで国民党宣伝部次長,総統府顧問をつとめた。蒋介石の「中国の命運」執筆者のひとり。1988年6月27日死去。90歳。湖北省出身。名は彙曾(いそう)。

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百科事典マイペディア 「陶希聖」の意味・わかりやすい解説

陶希聖【とうきせい】

中国の社会科学者,国民党の要人。湖北省の人。1928年雑誌《新生命》,1934年半月刊《食貨》を創刊。中国史の時代区分に創見を発表し,中国社会経済史学の発展に貢献した。1942年蒋介石の意を受け《中国の命運》を代作。著書《中国封建社会史》など多数。

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世界大百科事典(旧版)内の陶希聖の言及

【食貨】より

…中国の雑誌名。主編は陶希聖。正史の経済史料集ともいうべき〈食貨志〉から命名。…

【中国本位文化】より

…中国,1930年代中ごろにあらわれた文化論。35年1月,陶希聖ら10人の教授が《文化建設》に発表した〈中国本位文化建設宣言〉にもとづく。その主張は,満州事変後,民族的危機感が深まるなかで,中国本位の文化を建設し文化領域における民族の自信を回復しよう,と呼びかけたものであった。…

※「陶希聖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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