陸亀蒙(読み)りくきもう(その他表記)Lù Guī méng

改訂新版 世界大百科事典 「陸亀蒙」の意味・わかりやすい解説

陸亀蒙 (りくきもう)
Lù Guī méng
生没年:?-881?

中国,晩唐の詩人。字は魯望。長洲江蘇省)の人。科挙には及第できず,一時郷里の蘇州(江蘇省)や湖州(浙江省)の知事の属僚になったこともあるが,以後は隠棲して終生出仕しなかった。天随子(てんずいし)と号し,風雅の士として知られた。皮日休(ひじつきゆう)との唱和詩を集めた《松陵集》10巻が知られ,山水田園ののどかな生活を歌った詩が多い。また時政風刺散文作者もその一面である。《笠沢叢書》4巻,《甫里先生文集》20巻がある。なお陸亀蒙は,著述にはげむかたわらみずから農具をとって農業経営を行い農書《耒耜経(らいしけい)》1巻を著し,農学者としても知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸亀蒙」の意味・わかりやすい解説

陸亀蒙
りくきもう
Lu Gui-meng

[生]?
[没]中和1(881)
中国,晩唐の詩人,農学者。蘇州 (江蘇省呉県) の人。字,魯望。号,天随子,甫里先生。蘇州の名家の出で,少年の頃から六経に通じていたが,進士に推挙されて及第せず,しばらく張搏 (ちょうはく) の幕僚をつとめた。その後,松江の甫里に隠棲して農耕に励み,開墾,農業の改良を行なった。かたわら詠詩を楽しみ,のち朝廷から左拾遺として召されたが,まもなく没した。権力者の腐敗を風刺した散文があり,詩では田園生活をうたった詩に,のちの宋代の田園詩につながる細かい観察をみせている。『雑諷』9首など,やはり憂世の詩があり,また「皮陸」と並称される友人の皮日休と唱和した詩が有名。農書『耒耜 (らいし) 経』 (1巻) ,詩文集『唐甫里先生文集』 (20巻) ,『笠沢叢書』 (4巻) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸亀蒙」の意味・わかりやすい解説

陸亀蒙
りくきもう
(?―881?)

中国、晩唐の詩人。字(あざな)は魯望(ろぼう)。蘇(そ)州(江蘇省)の人。科挙に及第せず、一時、地方官の幕僚となって出仕したものの、やがて松江(しょうこう)(江蘇省)の甫里(ほり)に隠棲(いんせい)して晴耕雨読の気ままな生涯を終えた。これは、彼と『松陵集』で詩を唱和しあった皮日休(ひじつきゅう)とともに、晩唐期における士人の新しい生き方を示したものといえる。詩風は穏やかな情感を詠じ、きわめて清麗と評される。詩文集はその隠棲の地にちなんで『唐甫里先生文集』20巻とも、松江の別名、笠沢(りゅうたく)にちなんで『笠沢叢書(そうしょ)』四巻ともいう。その雑文(小品文(しょうひんぶん))は比喩(ひゆ)や風刺に富み、後の魯迅(ろじん)によって鋭い現実批判の文章として称賛されたものである。

[野口一雄]

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