日本大百科全書(ニッポニカ) 「集安」の意味・わかりやすい解説
集安
しゅうあん / チーアン
中国、吉林(きつりん)省の南端にある県級市。1965年までは輯安(しゅうあん)と書いた。1988年市制施行。通化(つうか)地級市に属する。常住人口21万8623(2013)。市内は丘陵性の山地で、カラマツ、チョウセンゴヨウ、ナラなどの温帯性木材やチョウセンニンジン、柞蚕糸(さくさんし)、ハシバミの実などを産する。農産物にはトウモロコシ、大豆、米、アワなどがある。県城は鴨緑江(おうりょくこう)とその小支流通溝河(つうこうが)に囲まれた標高200メートルの小さな段丘平野上にある。中国と北朝鮮が共有する雲峰(うんぽう)ダム、水豊ダムがある。梅河口(ばいかこう)市から梅集線が通じ、鴨緑江を渡って北朝鮮の満浦(まんぽ/マンポ)に至る。
この地は3世紀初めごろから427年平壌(へいじょう/ピョンヤン)へ移るまで高句麗(こうくり)の丸都(がんと)があり、7世紀末から10世紀初めまで渤海(ぼっかい)国の五京の一つ西京鴨緑府(さいきょうおうりょくふ)が置かれた。これらの城跡のほか、山城子山城(丸都山城)、積石塚と盛土塚からなる無数の古墳群があり、2004年ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「古代高句麗王国の首都と古墳群」として、世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。また、「而倭以辛卯年来渡海破百残□□□羅以為臣民」の字句の解釈と碑面の改竄(かいざん)の有無で論争のある広開土王(好太王)碑が有名である。
[浅井辰郎・編集部 2017年7月19日]