雲門寺(読み)うんもんじ

日本歴史地名大系 「雲門寺」の解説

雲門寺
うんもんじ

[現在地名]舞鶴市字余部上

山号神竜山、臨済宗天龍寺派。本尊地蔵菩薩。開基普明国師(春屋妙葩)もと舞鶴湾(東湾)を見渡す余部下あまるべしも菖蒲しようぶ谷にあったが、明治二二年(一八八九)舞鶴鎮守府設立のために現地に移された。

当地中世足利義満の夢告により普明国師を開山として建立された宝幢ほうどう寺の開山堂鹿王ろくおう(現京都市右京区)(余部里庄)であったので、その縁によりこの地に普明国師が雲門寺を建立したものであろう。

旧語集は「住持伝来書ヲ以記之」として、

<資料は省略されています>

と記す。

雲門寺
うんもんじ

[現在地名]北条市本谷 寺ノ内

如意山と号し、黄檗宗。本尊は釈迦如来

由緒によれば河野氏の分派南通武(横山城主)が釈海翁を開山として創建したという。以来南氏代々の菩提寺として繁栄した。「予陽郡郷俚諺集」に「応永年中、京師に於て当国守護河野刑部大輔伊予守を兼、通義逝去、仍て舎弟六郎通之、遺跡を継き、対馬守に任す、時に家兄菩提の為、雲門寺に於て霊屋を建て、三百町の田地を寄附す、猶常灯料として和介郡姫原村之内壱町五反の所を以て寄進せらる」とあり、河野本家の保護も厚かったことが知られる。常竹つねたけに雲門寺分の地名が残っている。天正一三年(一五八五)の河野氏滅亡とともに寺も衰えたが、元和三年(一六一七)釈古鏡が中興(天和三年、元禄一三年とも)、その時従来の天台宗を黄檗宗とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報