日本大百科全書(ニッポニカ) 「青年チェコ党」の意味・わかりやすい解説
青年チェコ党
せいねんちぇことう
Mladočeskástrana チェコ語
Young Czech Party 英語
チェコスロバキア独立(1918)以前のチェコの民族主義政党。1860年以降、チェコ人は、パラツキーやリーゲルFrantišek Ladislav Rieger(1818―1903)らに指導されるチェコ民族党のもとで、オーストリア帝国の連邦化によるチェコ人の政治的、文化的自治を要求していた。しかし、党指導部の妥協的な姿勢に批判的な急進派(青年チェコ派)は、しだいに党内で力を得て、74年には正式に分離し、チェコ民族自由主義党を結成した。この政党は一般には青年チェコ党とよばれ、95年の選挙で勝利を収め、チェコ語のドイツ語に対する同権、普通選挙制などを要求して、チェコ民族運動の先頭にたった。しかし、1907年にオーストリアで普通選挙制が実現すると、チェコ農民党や社民党の進出に脅かされるに至り、11年の選挙では、チェコ人政党のなかでも第三党に後退した。なお、青年チェコ党が分離したあとのチェコ民族党は、老チェコ党Staročeská strana(チェコ語)/Old Czech Party(英語)とよばれ、ウィーン政府との妥協の道を求めたが、1895年の選挙で大敗し、チェコ民族運動の主導権を失った。1918年にチェコスロバキア共和国が独立する過程で、青年チェコ党は、老チェコ党などを吸収し、新たにチェコスロバキア国民民主党として再編され、大資本の利益を代弁する右派政党となった。
[林 忠行]