小学校卒業後の男子勤労青年を対象とした社会教育機関。1926年(大正15)4月の青年訓練所令に基づいて設立、同年7月から発足した。全国で約1万5000の訓練所が設けられ、百余万の青年が入所した。16歳から20歳の男子を対象として、尋常小学校卒業者には4年間で学科と軍事教練あわせて800時間(高等小学校卒は700時間)を課した。うち教練は400時間、課程修了者には兵役期間が6か月短縮された。青年訓練所は文部省が指導監督し、軍が協力する制度であったが、実質的には宇垣(うがき)軍縮の一環として軍の主導権の下で実現したもので、中学校以上の学生に対する軍事教練とともに、徴兵以前の青年を平時から絶えず訓練することにねらいがあった。35年(昭和10)には施設、内容の点で部分的に重なる実業補習学校と統合されて青年学校となった。
[北河賢三]
小学校卒業後の男子勤労青少年を対象とした社会教育機関。1926年(大正15)7月発足。約1万5000の訓練所が小学校などに併設され,約100万人の青少年が入所した。義務制ではないが,16~20歳の男子を対象とした。文部省の監督下にあったが,軍部の主導で実現した制度で,徴兵以前の青年に軍事訓練を施すことにねらいがあった。35年(昭和10)実業補習学校と統合されて青年学校になった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…その後京都帝大総長,文部次官を歴任,16年寺内正毅内閣の文相に就任,内閣直属の臨時教育会議を設置し,その答申に基づき高等教育制度の改革,義務教育費国庫負担の道を開いた。24‐27年加藤高明内閣,若槻礼次郎内閣の文相となり,中等学校以上への軍事教練の導入,青年訓練所の設置など軍国主義教育を推進。29年枢密顧問官,33年文政審議会副総裁を務めた。…
…これは第1次大戦が近代的総力戦の特徴をもったため,戦後,世界各国が教育の国家統制の強化,国防的訓練,軍事的予備教育の振興などに力をそそぐようになったことと相照応してはいるものの,この背景にある日本の近代教育が軍国主義的・国家主義的な忠君愛国思想を養成することを目標とする一方で,将校の失業を救済するという側面もあった。こういう動向に対し,早稲田軍教事件や小樽高商事件などに代表される学生の軍教反対運動が展開されたが,26年には青年訓練所令が陸軍省と文部省との協力のもとに公布された。当初,全国に1万3852ヵ所設けられた青年訓練所は16歳から20歳までの男子青年を対象としており,実業補習学校を修了して入営するまでの期間を埋めるべく意図されていた。…
…また米騒動,関東大震災における自警団や労農争議の際のスト破りなど,治安維持,社会運動抑圧の活動にも進出する。26年7月の青年訓練所の設立にあたっては,教練指導員に在郷軍人を配置し青年層への影響力を拡大していく契機となった。 1930年代にはいると,軍部の戦争政策や国家改造の意図に沿って国防思想普及運動や国体明徴運動を展開し,その大衆動員力はファシズム体制形成の大きな推進力となった。…
…とくに蓮沼門三が指導した修養団は全国に活発な活動を展開した。また25年4月からは中学校以上の学校に現役将校を配属した軍事教練を,26年7月からは市町村に青年訓練所を設置して軍事教練と修身教育を実施したが,これも青年学生に対するマルクス主義の防止と国体観念の養成を目的とするものであった。そして思想善導政策は28年の三・一五事件を契機にいっそう重視され,各学校に学生主事,生徒主事がおかれ,思想善導費が配分された。…
…1935年に公布された青年学校令によって,実業補習学校と青年訓練所とが合併して発足した勤労青年教育機関。1926年に発足した青年訓練所は,16歳から徴兵年齢までの青年に軍事教練を施すことを目的としていたため,青年学校本科の教科の37%は教練科であった。…
※「青年訓練所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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