青渭神社(読み)あおいじんじや

日本歴史地名大系 「青渭神社」の解説

青渭神社
あおいじんじや

[現在地名]調布市深大寺元町五丁目

深大じんだい寺の東方、国分寺崖線上の絵堂えどう地区池ノ谷いけのやにある。青渭の渭は沼の意で、祭神青沼馬押比売命。旧郷社。江戸時代には青波あおなみ天神祠ともいい(風土記稿)、祭神は水神であった。「延喜式」神名帳記載の多磨たま郡「青渭神社」の論社の一。神名帳では小社。明治四一年(一九〇八)の神社明細帳(当社蔵)に「当社は創立年代詳ならねど、延喜式神名帳にいふ多磨郡八座の一なる青渭神社是なり、旧幕府内の時、再度聖堂より式内社調査の事あり、古文書等数多存せしが、別当深大寺焼亡の際、烏有に帰したり」とある。


青渭神社
あおいじんじや

[現在地名]青梅市沢井

惣岳そうがく(七五六メートル)に奥宮、山麓に里宮(青渭下宮)鎮座。奥宮から少し下った地に清水が湧く泉があり、真名井・青渭の井と称される。旧郷社。「延喜式」神名帳に記す多摩郡八座の一つ「青渭神社」に比定する説がある。「風土記稿」には「抑当社ハ延喜式神名帳ニ載ル所ニシテ祭神ハ大己貴尊ト云」とあり、平将門追討のため下向してきた源経基の前に藍色に変色した多摩川から現れた童女の託宣にちなみ社号を得たというが、神名帳の成立は将門の乱をさかのぼるので、この伝承に根拠ありとはいえない。泉水神霊が元来の祭神であったのであろう。伴信友「神名帳考証」では現調布市深大寺じんだいじの青渭神社が式内社に当たるかとする一方、沢井さわいの当社も捨てがたいという所見を記している。


青渭神社
あおいじんじや

[現在地名]稲城市東長沼

東長沼ひがしながぬまの西端にある。祭神は青渭神(青沼馬押比売命)。旧郷社。江戸時代末までは青沼あおぬま社・青沼明神社と号し、明治初年現社名に改めた。「延喜式」神名帳記載の多磨たま郡「青渭神社」の論社の一。神名帳では「青渭神社」は小社。明治三三年(一九〇〇)の神社明細帳(稲城市役所蔵)には青沼大明神の称号は社地の付近に方数十間にわたる大沼があり、池水が常に青かったことにより、近傍の田園もすべて青沼の字名を冠したとあり、「風土記稿」にも青沼大明神とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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