日本大百科全書(ニッポニカ) 「面河」の意味・わかりやすい解説
面河
おもご
愛媛県中部、上浮穴郡(かみうけなぐん)にあった旧村名(面河村(むら))。現在は久万高原町(くまこうげんちょう)の北東部を占める一地域。1934年(昭和9)に杣川(そまがわ)村を面河村と改称し、2004年(平成16)久万町、美川(みかわ)、柳谷(やなだに)の2村と合併、久万高原町となった。旧面河村は、石鎚(いしづち)山(1982メートル)の南斜面、面河川上流の山村で、国道494号が通じる。近世には面子と記され、松山藩に属したが、貧しい山村であったことから農民の大洲(おおず)領への逃散(ちょうさん)もあった。木地師(きじし)の入山もあり、木地師集落とその歴史が残されている。面積の9割以上が山林で国有林が多い。伝統的に林業が盛んで、養蚕のほかわずかの畑作地ではタバコや茶などを生産していたが、近年は高冷地作物中心の農業と観光業に転換しつつある。国指定の名勝である面河渓一帯は景勝地に富み、ブナ原生林が多い。面河渓に沿って石鎚山へは石鎚スカイラインが通じ、登山を容易にした。面河渓と石鎚山などが石鎚国定公園に含まれる。
[横山昭市]