愛媛県東部,石鎚山脈の主峰で,標高1982m,四国一の高峰である。基盤は長瀞変成岩の結晶片岩,その上に石鎚第三系の久万層群,最上部に同じ第三系の石鎚層群がのり,これに安山岩が貫入して頂上部の岩峰をつくる。面河渓(おもごけい)の花コウ岩は石鎚山の山体をつくる安山岩質凝灰岩を貫いている。標高1000m以上にブナ,ミズナラなどの冷温帯林があり,1700m以上にシコクシラベが分布し,亜寒帯性の林帯を表出する。高峻な山容,亜高山帯を標示する植生など,景観はすばらしく,1955年国定公園の指定を受けている。68年にロープウェーが中腹の成就社(1296m)まで開設され,さらに70年に石鎚スカイラインが開通し,登山が容易になった。修験道の霊場として古くから知られ,富士山,御嶽山などと並び称せられた。毎年7月1日のお山開きには,白装束の信徒が多数神体を奉じて登頂し,来迎に祈願する習俗がある。
執筆者:相馬 正胤
石鎚山は修行者の山として古くから知られてきた。石鎚山信仰は各種の性格を内包しているが,大きな特色としては(1)《日本霊異記》《文徳実録》にでてくる寂仙(灼然),上仙をはじめ,石仙,常仙,峰仙などの修行僧が修行した山として知られていたこと,(2)蔵王権現,熊野権現,三十六王子がまつられ,役行者や大峰修行をした芳元がこの山を開いたという伝承があるように,熊野および吉野大峰山信仰の影響が強いこと,(3)近世期,石鉄山別当前神寺の指導によって各地に先達を中心に登拝を目的とする石鎚講が結成され,習俗として定着していること,また第2次大戦後には石鎚神社指導の石鎚本教や前神寺指導の真言宗石鎚派をはじめ多くの教団が形成されたことなどをあげることができよう。石鎚講は江戸中期以降増加し,今日では四国,九州,中国地方に分布している。この講では先達を中心とし厳重な精進潔斎後に登拝し,坂迎えや女人禁制などが近年まで続けられてきたほか,山開きに伴い神体を上げ下げする〈お上り〉〈お下り〉の行事や独特の先達会符(えふ)など注目すべき習俗が伝えられている。
執筆者:宮本 袈裟雄
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四国の脊梁(せきりょう)山脈をなす石鎚山脈の最高峰。標高1982メートル。愛媛県西条(さいじょう)市、上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町の境界にそびえる。石鎚国定公園に含まれる。頂上は石鎚神社の石鎚祠(ほこら)のある弥山(みせん)や南東の天狗(てんぐ)岳で、天狗岳は西日本でもっとも高い。山頂付近は稜線に沿って北西から南東に向かって細長い岩壁が回廊状に連なり、両側は絶壁になっている。三波川(さんばがわ)変成岩帯の基盤を貫入して噴出した第三紀の輝石安山岩がこの岩稜を形成し、約100メートルの垂直に近い柱状節理をなしている。石鎚山は『万葉集』に登場し、『日本霊異記(にほんりょういき)』などにその名が記され、古くから山岳信仰の対象として有名で、富士山、御嶽山(おんたけさん)などと並んで全国七霊山の一つに数えられる。登山道は西条市小松町、成就社(じょうじゅしゃ)を経由する表参道、久万高原町からの裏参道があり、毎年7月1日から10日までのお山市には大ぜいの信者の登山でにぎわう。10月下旬には初冠雪があり、冬季は霧氷がみられる。
[深石一夫]
『『石鎚山系の自然と人文』(1960・愛媛新聞社)』
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