鞏県石窟(読み)きょうけんせっくつ(その他表記)Gǒng xiàn shí kū

改訂新版 世界大百科事典 「鞏県石窟」の意味・わかりやすい解説

鞏県石窟 (きょうけんせっくつ)
Gǒng xiàn shí kū

中国河南省中部の鞏県北東9kmにある仏教石窟洛水に南面する大力山の砂岩崖下にある。唐の竜朔2年(662)に刻まれた〈後魏孝文帝故希玄寺碑〉によれば,北魏には希玄寺と呼び,北魏普泰1年(531)の造像記があり,〈重修大力山石窟十方浄土禅寺記〉(1494・明の弘治7)によれば,北魏宣武帝の景明年間(500-503)の開掘という。石窟形式や造像様式はこれらの記録を裏づけし,北魏末に開掘されて,東・西魏北斉,唐・宋に及び,いま石窟5,三大仏,千仏龕(がん)1,磨崖造像龕238を残している。数量,規模は雲岡や竜門に及ばないが,優品が多く,とくに礼仏図,伎楽図,神王像,格天井(ごうてんじよう)浮彫はととのって保存されたものが多く,中国彫刻史上重要な資料である。

 石窟は南面して並び,西から番号が付され,第1,第2窟が西区,それから27mあまりの岩壁を隔てた東区に第3,第4,第5窟がある。第2窟は方形窟で方柱を彫り出しているが,石質軟弱のため造営が中止されている。第5窟は1辺3.2m,高さ3mの方形窟で,方柱はなく,天井の中心は蓮華で,まわりに飛天唐草を浮彫し,東西北の3側壁には五尊形式の大仏龕各1をおく。また門口に当たる南壁の楣上に座仏5,門の左右に立仏を配する。第1,第3,第4窟はともに方柱をまんなかにおく方形窟で,第1窟は,1辺6m,高さ6m,天井は格天井。第3窟は1辺5m,高さ4m強,第4窟は1辺4.6m前後で,高さ4.5mを測る。みな方柱の四面に座仏龕をつくり,南壁(門口側)も含めて四壁に腰壁をつくって,そこに伎楽図などを刻み,その上層に小座仏龕を十数層造り出しているが,第1窟では腰壁とこの小龕の間に各壁4龕を並べ,第3,第4窟では各壁の中央に三尊ないし五尊の龕をもうける。門口の南壁は,腰壁と小龕との間を3段または4段とし,礼仏図をあらわす。三尊大仏龕は第1窟の外壁東にあり,石窟群東端の千仏龕は唐の乾封年間(666-667)の開掘である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鞏県石窟」の意味・わかりやすい解説

鞏県石窟
きょうけんせっくつ

中国、河南省の鞏県城北西、約1.5キロメートルにある北魏(ほくぎ)の石窟寺院。大力山の断崖(だんがい)に南面して5窟がある。古く浄土寺といわれ、明(みん)代の重修碑によると、北魏景明年間(500~504)に開削されたと伝える。第1洞と第2洞は西部に、第3、第4、第5洞の3窟は東部に位置しており、第1洞と第2洞の間には摩崖の釈迦(しゃか)大像が刻まれている。第1洞から第4洞までの4窟は方柱窟で、方柱の四面に仏龕(ぶつがん)をつくり、周壁にも仏龕、千仏などを刻み、また腰壁には伎楽(ぎがく)の天人、鬼神怪獣の像。門口内両側には王侯貴族の礼仏図。天井の格間には図案化した蓮華(れんげ)、蓮華化生(けしょう)、天人などを描いている。第5洞だけが仏龕窟であるために、内部構造や荘厳(しょうごん)も異なり、造営年代も520年代の後半。ほとんど同時に工事が進められ、第2洞が未完成のまま廃棄されているところをみると、北魏の滅亡とともに造営を終えたものと推測される。

[吉村 怜]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鞏県石窟」の意味・わかりやすい解説

鞏県石窟
きょうけんせっくつ
Gong-xian shi-ku

中国,河南省鞏県にある北魏から唐代に続営された石窟寺院。洛水にのぞんだ断崖に開かれた石窟で,景明年間 (500~503) に造営を始めたといわれる。竜門石窟に近い場所にありながら,竜門石窟の仏像彫刻の形式的,固定的な様式と異なり,青みを帯びた砂岩を用い,自由な表現で簡素な彫法のうちに格調の高い作風が特徴。現存する5つの洞はすべて南面し,第1,2,3洞と第4,5洞の中間には三尊の大仏があり,大石仏の本尊仏立像は北魏様式の典型といわれる。

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世界の観光地名がわかる事典 「鞏県石窟」の解説

きょうけんせっくつ【鞏県石窟】

中国の河南(かなん)省鄭州(ていしゅう)(チョンチョウ)市の鞏県、大力山の麓にある石窟。北魏時代に創建され、当初は「希玄寺」と呼ばれていたが、清時代に「石窟寺」と改称された。石窟は5窟あって方形の中心に柱型部分を残し、壁面と柱型面に仏龕(ぶつがん)が彫られて3体の仏像が保存されている。帝后礼仏図は、皇室の宗教行事を表したレリーフである。

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百科事典マイペディア 「鞏県石窟」の意味・わかりやすい解説

鞏県石窟【きょうけんせっくつ】

中国,河南(かなん)省鞏県北東にある北魏(ほくぎ)時代の仏教石窟寺院。洛水に臨む砂岩の岩壁に5窟あり,第4・第5洞の間に三尊形式の巨大な仏立像がある。内部には北魏様式の美しい彫刻,浮彫が施され,特に第2・第3・第5洞の供養者列像がすぐれている。

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