西魏(読み)セイギ(その他表記)Xī Wèi

デジタル大辞泉 「西魏」の意味・読み・例文・類語

せい‐ぎ【西魏】

中国国名南北朝時代北魏が分裂したとき、宇文泰うぶんたい文帝を擁立して535年に建国。556年、泰の子である宇文覚帝位を譲り受けて北周を建国し、滅亡。→

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改訂新版 世界大百科事典 「西魏」の意味・わかりやすい解説

西魏 (せいぎ)
Xī Wèi

中国の王朝。534-556年。北魏末に陝西・甘粛方面の反乱を討伐するため中央から派遣された軍が武将宇文泰を中心に自立し,洛陽から魏帝を迎えて長安を首都に西魏王朝を建設した。その国力ライバル東魏に比べて貧弱であったが,北鎮系の軍と現地の漢人豪族とが協力して,府兵制,六官の制など一連の復古的革新政策を打ち出し,よく東魏に対抗した。さらに南朝梁の内乱に乗じて長江揚子江)上流地域を獲得したことは中国再統一の第一歩を示す。短命ではあったがのちの隋・唐政権の源流をなすものとして,政治史上重要な位置を占める。
五胡十六国
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西魏」の意味・わかりやすい解説

西魏
せいぎ

中国の王朝(535~556)。北魏(ほくぎ)が東西に分裂してできた王朝で、北魏の宗室を帝としていただいていたが、実権は宇文泰(うぶんたい)が握っており、泰の世子の宇文覚が帝位を譲り受けて北周(ほくしゅう)を建てた。

[編集部]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「西魏」の解説

西魏(せいぎ)
Xiwei

535~556

魏晋南北朝時代北朝の王朝。534年北魏最後の孝武帝は,高歓(こうかん)の手を逃れて長安の宇文泰(うぶんたい)を頼ったが,翌年泰は孝武帝を殺し文帝を立てて西魏を建国し,東魏に対抗した。556年宇文泰が死ぬと,子の宇文覚は3代恭帝を廃して北周を建てた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「西魏」の解説

西魏
せいぎ

535〜556
北魏末期の実力者宇文泰 (うぶんたい) が,北魏の一族である文帝を擁して建てた国
長安に都し,東魏と対抗,南朝の梁 (りよう) を攻めて優位を保った。泰の子の覚のとき,3代恭帝を廃して北周を開いたので,西魏は3代20年余で滅んだ。

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百科事典マイペディア 「西魏」の意味・わかりやすい解説

西魏【せいぎ】

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世界大百科事典(旧版)内の西魏の言及

【魏晋南北朝時代】より

…この内乱は頂点に登りつめた貴族階級に決定的な打撃を与えるとともに,南朝史の発展を大きく阻止した。梁の版図のうち長江中上流地方は西魏に占領され,貴族の多くが北方に拉致(らち)された。占領地には傀儡(かいらい)政権として後が建てられた。…

※「西魏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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