飛鳥田一雄(読み)あすかたいちお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「飛鳥田一雄」の意味・わかりやすい解説

飛鳥田一雄
あすかたいちお
(1915―1990)

政治家。横浜生まれ。1937年(昭和12)明治大学を卒業し、弁護士となる。第二次世界大戦後日本社会党結成に参加し、横浜市議会議員、神奈川県議会議員を経て、1953年(昭和28)衆議院議員当選。1960年、アメリカのスパイ機U2が厚木基地にも配置されていることを国会で暴露し政府を追及した。1963年横浜市長に当選、15年間の在任中、住民参加による直接民主主義実現のための施策を行う一方、1972年道路運送法の規定を盾にアメリカ軍戦車のベトナム向け搬出を阻止するなど、革新首長のリーダー的存在として多くの実績をあげた。1974年社会党再生の「切り札」として市長のまま副委員長となり、1977年には委員長に就任した。1981年全党員による初の委員長選挙で3選されたが、党再生の課題を果たせぬまま、1983年参議院選挙敗北の責任をとって委員長を辞任、続いて政界を引退した。

伊藤 悟]

『飛鳥田一雄著『飛鳥田一雄回想録――生々流転』(1987・朝日新聞社)』『北岡和義著『べらんめえ委員長』(1978・学陽書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飛鳥田一雄」の意味・わかりやすい解説

飛鳥田一雄
あすかたいちお

[生]1915.4.2. 神奈川
[没]1990.10.11. 神奈川
政治家。 1937年,明治大学を出て弁護士となる。 45年,日本社会党結成に参加。横浜市議,神奈川県議を経て,53年,衆議院議員となり当選4回。党中央執行委員,国民運動委員長となる。 60年の安保国会で活躍。「黒いジェット機」 (米U-2型機) の厚木基地配置を暴露して岸内閣窮地に追込んだ。 63年,横浜市長に当選。以来4選を重ねた。住民参加の直接民主主義を提唱し,「1万人の市民集会」を創設するなど斬新な市政を実践した。また 64年には,全国革新市長会を結成し会長となる。地方自治体の民主化,革新化によって中央の保守政府を包囲し,やがて革新政権を実現しようと主張した。 74年4月から 77年2月まで,社会党の副委員長もつとめた。 77年7月に辞意を表明した成田委員長に代り,同 12月社会党委員長に就任,83年9月辞任した。

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百科事典マイペディア 「飛鳥田一雄」の意味・わかりやすい解説

飛鳥田一雄【あすかたいちお】

政治家。神奈川県出身。明治大学卒業後,弁護士となる。敗戦直後の1945年11月に日本社会党結党に参加。のち横浜市市議会議員,神奈川県県議会議員を経て,1953年に神奈川1区から衆議院議員に初当選。これを含め,4期連続当選。その後,〈地域民主主義の確立〉を掲げて,1963年には横浜市市長に当選。在任期間は1978年まで及び,1964年には全国革新市長会を結成し,その会長となる。1977年に日本社会党委員長に就任し,1983年まで在任。この間,1979年に東京1区から衆議院議員に復帰。1983年には委員長を辞任するとともに政界から引退した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飛鳥田一雄」の解説

飛鳥田一雄 あすかた-いちお

1915-1990 昭和時代後期の政治家。
大正4年4月2日生まれ。弁護士となり,労働運動,大衆運動の経験をつむ。戦後,社会党結成に参加。横浜市議,神奈川県議をへて,昭和28年衆議院議員(当選6回)。38年横浜市長となり,市民参加重視をうちだし,公害防止のための横浜方式を確立。また全国革新市長会を結成した。52年社会党委員長。平成2年10月11日死去。75歳。神奈川県出身。明大卒。
【格言など】女性が頑張らないと世の中が良くならない(土井たか子社会党委員長へ)

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世界大百科事典(旧版)内の飛鳥田一雄の言及

【日本社会党】より

… これらの結果,党の方針である全野党共闘も,共産党と公明,民社両党との対立に牽引されて実現せず,公明,民社に接近した副委員長江田が77年3月に離党し,ついで離党した田英夫らは78年3月に社会民主連合を結成するに至る。80年1月,党は前年の総選挙で進出した中道に接近し,共産党を除外する政権構想を採択して社公民路線に踏み切り,2月の第44回大会では〈道〉の見直しを決定したが,党内左右両派の対立は解消せず,飛鳥田一雄委員長の提唱した〈百万党建設〉も進展しなかった。83年9月の第48回大会で委員長に就任した石橋政嗣は〈ニュー社会党〉への脱皮を呼びかけ,自衛隊の違憲・合法論を展開して路線転換を図り,86年1月の第50回続開大会で難産のすえに〈新宣言〉を採択し西欧型社会民主主義路線へと転換した。…

【成田知巳】より

…62年以降,河上丈太郎佐々木更三,勝間田清一の各委員長のもとで書記長を務め,64年1月1日の〈《社会新報》〉に〈党革新の前進のために〉を執筆,党の体質的弱点として(1)日常活動,大衆工作の不足,(2)議員党的体質,(3)労組機関への依存の3点を摘出してその克服を呼びかけた。68年委員長に就任,党の再建強化のため党員再登録運動を展開したが再登録者は3万5000人にとどまり,機関紙〈《社会新報》〉の発行も10万部と,その長期低落傾向を挽回するに至らず,77年委員長を飛鳥田一雄と交替した。【岡本 宏】。…

※「飛鳥田一雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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