日本歴史地名大系 「香取海」の解説
香取海
かとりのうみ
下総と常陸の国境に広がっていた江湖地帯。香取の浦・香取潟ともみえる。中世には「うちのうみ」ともみえる(至徳四年五月一日「大禰宜長房譲状」香取文書)。「万葉集」巻一一の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物思はざらむ」は柿本人麻呂が近江国
香取神宮と鹿島神宮の交通は香取の海を船で渡ったと考えられ、「小右記」治安三年(一〇二三)九月六日条には、鹿島使が鹿島神宮に着いた翌日「渡海参香取宮」したとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報