香取海(読み)かとりのうみ

日本歴史地名大系 「香取海」の解説

香取海
かとりのうみ

下総と常陸の国境に広がっていた江湖地帯。香取の浦・香取潟ともみえる。中世には「うちのうみ」ともみえる(至徳四年五月一日「大禰宜長房譲状」香取文書)。「万葉集」巻一一の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物思はざらむ」は柿本人麻呂が近江国勝野かちのの浜(現滋賀県高島町)で作歌したものとされるが、藤原定家の建保四年(一二一六)の歌に「なつごろもかとりのうらのうたたねに波のよるよるかよふあき風」があり(万代集)、「万葉集」巻一四の「夏麻引く海上潟の沖つ渚に」を本歌取したものか。かとりの浦は「八雲御抄」にみえる歌名所。寛文(一六六一―七三)初年とされる下総国絵図でみる下総北半部は利根川筋の改修がなった後とはいえ川幅は一定せず、幾筋にも分流しまた合流することを繰返し、手賀てが沼・印旛いんば沼・なが沼などが水路で結ばれている。関東五ヶ国水筋之図(船橋市西図書館蔵)などではこれら水流が霞ヶ浦・北浦に通じ、銚子に開く河口部に続いており、古代・中世のこの一帯の潟湖の広がりが容易に想定される。「万葉集」や「常陸国風土記」などにより海上うなかみ潟・安是あぜ湖などがあったことが知られるが、香取の海が香取郡の北にある潟湖の意であるとすれば、当時の景観は香取の海の東に海上郡域にかかわる海上潟があり、さらに東の安是湖を過ぎて太平洋に開かれていたのであろう。海上潟を香取の海の異称ともいう。

香取神宮鹿島神宮の交通は香取の海を船で渡ったと考えられ、「小右記」治安三年(一〇二三)九月六日条には、鹿島使が鹿島神宮に着いた翌日「渡海参香取宮」したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の香取海の言及

【水郷】より

…利根本流,横利根川,北利根川,霞ヶ浦,外浪逆浦(そとなさかうら),北浦の沿岸に広がり,水郷筑波国定公園に指定されている。古代には香取海といわれた流海で,中世に利根川水系の堆積作用で沖之島などの川中島が形成され,近世初期の利根川の河道付け替え以後急速に陸化が進み,十六島(じゆうろくしま)などの新田開発が進展した。水郷の中心の十六島はかつてはエンマという水路が縦横に掘られ,灌漑,排水路として,また交通路として利用された。…

【千葉[県]】より

…現在は大型住宅団地,工業団地のほか,三里塚(成田市)の御料牧場跡には新東京国際空港が1978年開港した。利根川下流部の低湿地帯はかつて香取海(かとりのうみ)と呼ばれた内陸水域であったが,河川の堆積作用で陸化し,干拓も行われて,わずかに印旛沼,手賀沼が残されている。これらの丘陵や台地のまわりをふちどる河谷や海岸平野は水田となり,都市が立地し人口が密集している。…

【手賀沼】より

…東端から弁天川により利根川に排水する。古代には印旛(いんば)沼,霞ヶ浦に続く香取海(かとりのうみ)の入江であったが,利根川の堆積作用によってせき止められ,沼地となった。近世にはたびたび干拓が計画されたが,洪水によって破壊された。…

【利根川】より

…全体的にはんらん原の地帯は,その名が示すように,洪水による破堤はんらんが最も多い地帯で,江戸時代以後の大きな洪水も,たびたびこの地帯で生じた。 近世の瀬替え以前の常陸川流域にあたる利根川下流地域は,かつての香取海(かとりうみ)の部分で,全体に平たんである。ここでは利根川は常総台地と下総台地の間を流れ,また霞ヶ浦,北浦,印旛(いんば)沼,手賀沼などの湖沼が存在し,末端は利根川と結びついている。…

※「香取海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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