日本大百科全書(ニッポニカ) 「香港海員ストライキ」の意味・わかりやすい解説
香港海員ストライキ
ほんこんかいいんすとらいき
1922年1月から55日間に及んだ、中国最初の本格的労働争議。香港を中心とする海員労働者は、すでに1921年3月に中華海員工業連合総会を結成しており、1922年1月13日、賃上げ、差別待遇反対などを掲げて、蘇兆徴(そちょうちょう)らの指導下にストライキに入った。イギリス香港政庁は戒厳令を敷き、組合解散を命ずるなど高圧的に対処したが、労働者の団結は固く港湾労働者や中国人使用人など約2万人もストライキに入り、続々広州に引き揚げたため、香港は麻痺(まひ)状態に陥った。さらに、ストは上海(シャンハイ)や汕頭(スワトウ)にも飛び火し、京漢鉄道労働者をはじめとする全国の支援活動も盛り上がった。とくに孫文(そんぶん)の国民党広東(カントン)政府は労働者側の大きなよりどころとなった。3月4日にはイギリス兵が労働者に発砲して数名の死者と数百名の負傷者を出す沙田(さでん)事件が起きたが、労働者側の意気を高める結果となり、結局組合側の要求をほとんど認める形で争議は終結した。このストは同年から1923年初めにかけての中国労働運動の第一次高揚期の幕開きを告げるものとなった。
[古厩忠夫]
『鈴江言一著『中国解放闘争史』(1953・石崎書店)』