日本歴史地名大系 「高竜寺」の解説
高竜寺
こうりゆうじ
高竜寺
こうりゆうじ
寺伝では推古四年に恵慈の開山で、当時は大亀山船守院竜慶寺といったが、のちに宗豪寺、次いで高竜寺となった。名称の変化とともに、その位置も山中からだんだん麓に降りて来たといわれる。養和元年(一一八一)と天正元年(一五七三)に炎上したが、同一二年に
貞享二年(一六八五)の寺社明細言上書には亀老山示現院高竜寺とあり、「麓ヘ十三町従掃部殿町石ヲ被立置所々ニ今相残ル、其節仏供田燈明田御経田等被宛行、今昔百姓地ニ罷成而已、山上ニ宝燈鐘楼堂旧跡并大成石塔一有、能島家ノ廟所ト申伝、然ニ能島退転以後寺家脇寺八ケ寺共ニ滅亡也」とあって、中興開山を宥印法印としている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報