日本歴史地名大系 「高足郷」の解説
高足郷
たかしごう
「和名抄」高山寺本は誤って当郷を
高足郷
たかしごう
「和名抄」所載の渥美郡
その後は建武三年(一三三六)二月六日の後醍醐天皇綸旨(白河結城文書)によって結城宗広の所領となり、延元元年(一三三六)四月より顕朝へ、応安二年(一三六九)六月より満朝へ、応永四年(一三九七)一〇月氏朝へと伝領された(同文書)。しかしこの頃には結城氏の実質的支配は行われなかったようで、「御前落居記録」永享四年(一四三二)四月二六日の引付によると、疋田彦三郎長利が当郷中に勢力をもち、応永七年一二月、同一七年九月の御教書をえて当郷を知行していたことが知られる。
高足郷
たかしごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報