官省符荘(読み)カンショウフショウ

デジタル大辞泉 「官省符荘」の意味・読み・例文・類語

かんしょうふ‐しょう〔クワンシヤウフシヤウ〕【官省符荘】

律令制下、太政官の官符と民部省の省符によって免税特権を認められた荘園。

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改訂新版 世界大百科事典 「官省符荘」の意味・わかりやすい解説

官省符荘 (かんしょうふしょう)

紀伊国伊都郡(現,和歌山県橋本市,伊都郡九度山町,かつらぎ町中北部)の荘園。高野山金剛峯寺の根本寺領で,政所荘,高野本荘金剛峯寺荘などともいう。紀ノ川をはさんで,北は河内国南堺から南は高野山麓におよび,東は相賀(おうが)荘,西は桛田(かせだ)荘に接する広大な荘園である。河南,河北(上方),下方の3地域から構成されるが,これは成立の経緯の違いによるところが大きい。まず河南は高野政所(慈尊院)を中心とする地域で,寺家の敷地の拡大という事実上の領有が先行し,正式に立券されたのは1049年(永承4)の河北の成立と同時であった。この年,金剛峯寺は紀伊国内に集積してきた散在寺田を国家に返進するかわりに,政所の対岸に広がる大野・長栖両村(河北)を一円的に領有することが認められた。かくて官省符荘が成立するが,それは金剛峯寺領が古代的な形態から中世的な所領に転換したことを意味している。その後,63年(康平6)ごろに封戸代の便補(びんぽ)という手続によって下方が加えられ,12世紀前半には河北がさらに東に広がって相賀荘と接するようになり,官省符荘が地域的に確定した。なお中世には桛田荘北方の4郷も官省符荘の支荘あるいは付属地の扱いをうけている。官省符荘とその周辺地域には,古くから坂上氏・長氏などの在地領主が根をはっており,立荘の過程では彼らに依存することが多かったが,荘経営が軌道にのり,彼らが住民と対立するようになると,その排撃が企てられた。87年(寛治1)には坂上経澄が寺家所司殺害の罪で所領80余町を没収され,12世紀初頭には長氏とその一族も追放されて,高野山の直務支配が確立した。鎌倉~南北朝期の当荘の動向はつまびらかでない点が多いが,南北朝内乱が終息した1394-96年(応永1-3)には,寺領再建のための〈大検注〉が実施されている。このときの河南の一部をふくむ上方(河北)の田地は約200町,畠地は約53町なので,荘全体では田地三百数十町,畠地80~90町程度と推定される。
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官省符荘 (かんしょうふしょう)

政府が,太政官符や,それをうけた民部省符を下して(これらを総称して官省符という),荘園の永代領有と,その田地からほんらい国に納めるべき租税を免除される不輸の特権とを公認した荘園。特定の神社・寺院に所有が認められた神田寺田は,律令国家の初期にはまだ正式な不輸租田でなかったが,8世紀中期,天平宝字年間のはじめごろ,神田・寺田は公田として取り扱われるようになり,正式に不輸租田となった。そこで政府は,神田・寺田を官省符で不輸租荘園として公認する手続をとったのが,官省符荘のはじまりである。律令国家時代には,官省符荘は神田・寺田をもつ寺社領荘園だけであった。しかし10世紀以降,国家税制体系の変化にともなって荘園の不輸の対象も変わり,11世紀になると貴族や寺社に対する国家的給付が滞って,そのかわりに荘園不輸を公認するようになって,官省符荘は神田・寺田をもつ寺社領荘園に限らず,皇族や貴族の荘園にも及ぶようになってきた。
荘園
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百科事典マイペディア 「官省符荘」の意味・わかりやすい解説

官省符荘【かんしょうふのしょう】

紀伊国伊都(いと)郡の荘園。和歌山県高野口町(現・橋本市)全域と九度山(くどやま)町・橋本市付近を荘域とする広大な荘園で,高野山領。官省符(太政官符(だいじょうかんぷ)・民部省符(みんぶしょうふ)の総称)によって公認された荘園という普通名詞が固有名詞化したもの。高野山の政所(まんどころ)があったことから政所荘ともいった。1049年の太政官符により成立。高野山膝下(しっか)のため在地勢力の台頭もなかった。1394年に大検注が実施され,1396年の在家数322。
→関連項目鵤荘官省符荘民部省符

官省符荘【かんしょうふしょう】

国家が下した官省符,すなわち太政官符(だいじょうかんぷ)とこれを受けた民部省符(みんぶしょうふ)により,永代領有と租税を免除される不輸(ふゆ)の特権を公認された荘園。律令制下では神田・寺田は租税を課される輸租田(ゆそでん)であったが,8世紀半ば頃から不輸租田となり,これに伴って神田・寺田が官省符で公認されて官省符荘が成立した。紀伊国伊都(いと)郡に成立した高野山領官省符荘(かんしょうふのしょう)はその代表的な例で,荘園立券時の手続きが荘名となっている。当初特定の寺社領荘園に限られていたが,11世紀以降は皇族・貴族領の荘園も不輸とされ,官省符荘の範疇となった。国司(こくし)によって公認された国免荘(こくめんのしょう)より強い特権を持ち,11世紀後半の荘園整理令の対象にならなかった。
→関連項目相賀荘

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「官省符荘」の意味・わかりやすい解説

官省符荘
かんしょうふしょう

太政官符(だいじょうかんぷ)・民部省符を得て不輸租を認められた荘園をいう。もともと荘園は輸租田であったので、領主の申請に基づいて四至(しいし)(境界)を確定し、不輸租としたもの。記録のうえでは845年(承和12)東寺領丹波(たんば)国多紀郡大山荘(兵庫県丹波篠山(ささやま)市)が早い例である。その手続は、申請により太政官から派遣された官使が国司・郡司および荘官らとともに現地を調査し、境域を定めて四至に牓示(ぼうじ)を打ち、四至・坪付(つぼつけ)(地積)を記した券文と絵図(荘園図)とを作成、そのうえで認定の文書を太政官・民部省から発給した。これを立券荘号という。しかし官省符荘となっても、検田使など国使の入部を排除できたわけではなく、10世紀以後は臨時雑役(ぞうやく)などを賦課されることも多く、しばしば国衙(こくが)と紛争を起こしている。

[村井康彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「官省符荘」の意味・わかりやすい解説

官省符荘
かんしょうふしょう

律令制で,最高行政官庁である太政官と,直接民政にあたる官庁の民部省とから不輸租 (免税) の特権を認められた荘園。その許可が太政官符と民部省符とによってなされたため,この名がある。初期荘園においては,不輸租は例外的な場合にしか認められなかったが,諸家,諸寺社は種々の口実を設けて不輸租の特権を得ようとし,その理由を申請した。この官省符の根元は天皇の「勅」にあるところから,荘園としての実質的な性格は,勅免荘と同じであった。したがって,官省符荘は律令政治が権威をもっていた時代には,最も強い特権をもっていた。その発生は平安時代の初期と考えられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「官省符荘」の解説

官省符荘
かんしょうふしょう

太政官符,および太政官の命を諸国に施行する民部省符をうけて,領有を公認されるとともに,国家的賦課の免除(律令制下では不輸租,のちには不輸官物)の特権を獲得した荘園。律令制下に官省符によって保証された寺社の荘田は,平安中期までには大半が転倒し,荘園領主の膝元に所在するものを例外として,おおむね有名無実の状態となっていた。平安後期に広範に成立する土地と荘民を統一的に支配する領域型荘園と,直接につながるものではないが,中世荘園のうちには,前代から官省符荘であった由緒を新たに主張することによって,立荘されたものもある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「官省符荘」の解説

官省符荘
かんしょうふしょう

律令制下,太政官符と民部省符により不輸租,すなわち特権を認められた荘園
9世紀中ごろから始まり,荘園としての特権のうち官省符荘が最も強かった。

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世界大百科事典(旧版)内の官省符荘の言及

【太政官符】より

…このほか地方に下す官符には使人の位姓名,駅鈴の口数が紙面袖に書かれる。官符は詔勅の施行も行うところから権威ある文書とされ,律令を修正・補足するものは〈格〉〈式〉として重んじられ,荘園制においては官符と民部省符で特権を認められた荘園は官省符荘といって由緒を尊重された。現存最古のものは750年(天平勝宝2)宮内省にあてられたもので《正倉院文書》中にある。…

【符】より

…八省のうち民部省はその職掌上,地方諸国にも符を発することができ,荘園制が盛んなときは,不輸不入を認める官符とともに民部省符を発した。官符,民部省符を得た荘園は官省符荘(かんしようふしよう)といって権威づけられた。西海道(九州)は大宰府がおかれていたので,この地方へ下す官符はまず大宰府にあてられ,ついで大宰府の符が西海道諸国へ下された。…

※「官省符荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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