日本歴史地名大系 「高鍋城跡」の解説
高鍋城跡
たかなべじようあと
〔財部城〕
鎌倉時代以降土持氏一族が所領とした財部を掌握する城で(享保五年「財部大明神縁起」町立高鍋図書館蔵)、長禄元年(一四五七)七月、
〔近世〕
天正一五年七月三日の豊臣秀吉朱印状(高鍋町歴史総合資料館蔵)に高鍋城とみえ、秋月種長は同城と「其廻明所分」を宛行われた。このとき宛行われたのは当城を中心とする
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鎌倉時代以降土持氏一族が所領とした財部を掌握する城で(享保五年「財部大明神縁起」町立高鍋図書館蔵)、長禄元年(一四五七)七月、
天正一五年七月三日の豊臣秀吉朱印状(高鍋町歴史総合資料館蔵)に高鍋城とみえ、秋月種長は同城と「其廻明所分」を宛行われた。このとき宛行われたのは当城を中心とする
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