魚々子(読み)ななこ

改訂新版 世界大百科事典 「魚々子」の意味・わかりやすい解説

魚々子 (ななこ)

金属面に切先の刃が輪状になった魚々子鏨(たがね)で細粒の円形を密に陰刻して表す技法。そのあとが魚の卵に似るところからきた名称。魚子,七子魶子とも書く。日本では760年(天平宝字4)の《造金堂所解》に〈魚子打工〉の名称が見られるのが,文献では最古の例である。一般に地文として使用され,粟粒を蒔(ま)いたように打ちこんで文様を浮きたたせたり,鍍金(めつき)をして金の小粒を蒔いたようにも見せる。魚々子の工法は〈打つ〉ほかに,〈蒔く〉ともいう。7世紀の作品が多い法隆寺献納宝物中の小金銅仏のうち,瓔珞(ようらく)の宝鎖などに魚々子の手法が見られるが,それは小円を一線上に連ねて文様的効果をあげている。668年(天智7)創建と伝えられる滋賀崇福寺塔址出土の舎利容器と伴出した金銅背鉄鏡の鏡背に魚々子地があり,すでに7世紀には魚々子打ちの技術があったことが知られる。また東大寺鎮壇具の小銀壺にも魚々子が打たれている。大阪府高槻市真上(まかみ)出土の石川年足(としたり)の墓誌にも魚々子が見られ,天平宝字6年(762)の年紀がある。奈良時代から平安時代までの魚々子は粒状打ち方が粗雑で,重なったり,不揃いであるのが一般的であるが,鎌倉時代末期以後は一列に規則正しく打ったものが見られるようになり,江戸時代刀剣小道具では整然と打たれる。また互の目(ぐのめ)魚々子,大名縞魚々子といった変わった魚々子が現れる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「魚々子」の意味・わかりやすい解説

魚々子
ななこ

金工技法の一つ。魚子とも書く。切っ先の刃が小円となった鏨(たがね)を打ち込み、金属の表面に細かい粟(あわ)粒をまいたようにみせる技法。隣接して密に打たれたさまが、あたかも魚の卵をまき散らしたようにみえるところからこの名がある。普通は文様部以外の地の部分に打たれる。日本には中国から伝播(でんぱ)したと考えられるが、『正倉院文書』に「魚々子打工」とみえるところから、奈良時代にはすでに専門工がいたことが知られ、正倉院には当時使用された魚々子鏨が伝存している。遺品の古い例としては、668年創建の滋賀・崇福寺塔心礎出土の鉄鏡や、686年とも698年銘ともいわれる奈良・長谷(はせ)寺の銅板法華説相図にみられるものがある。

 奈良時代から平安時代までは概して魚々子の打ち方は不ぞろいのものが多いが、時代が下るとともに整然と打たれるようになり、江戸時代には「互(ぐ)の目魚々子」とか「大名縞(しま)魚々子」といった変わり打ちも出現した。

[原田一敏]

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百科事典マイペディア 「魚々子」の意味・わかりやすい解説

魚々子【ななこ】

彫金の一技法。魚子,七子とも記す。先端が小さい輪状の刃になった魚々子鏨(たがね)を用いて,金属面に魚の卵のような小さな円文を連続して一面に打ち込む技法。一般に地文(じもん)に用い,魚々子地という。古い例では,奈良時代の崇福寺(すうふくじ)塔跡から出土した鏡背に唐草文の地文として打たれたものが見られる。
→関連項目津軽塗

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世界大百科事典(旧版)内の魚々子の言及

【彫金】より

…鋳造または鍛造(たんぞう)された金属器の表面に,鏨(たがね)で文様を彫ったり,透かしたり,他の金属を嵌(は)めて装飾したりする金工の加飾技法。毛彫(けぼり)や蹴彫(けりぼり)などの線刻,魚々子打(ななこうち),高肉彫や透彫(すかしぼり),象嵌(ぞうがん)などに大別される。 〈点線彫(てんせんぼり)〉は,先のとがった細い鏨を連続して打ち,点線を表現する技法。…

※「魚々子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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