青森県津軽地方でつくられる漆器。寛文年間(1661-73)弘前藩主津軽信政が若狭の塗師(ぬし)を招請したところから始まったといい,藩の庇護の下におもに高級なあつらえ物を製作していたようである。明治維新によってその庇護を失った津軽塗工人は,1881年に漆器樹産会社などを設立して殖産振興を図った。素地はおもにヒバを用い,重箱,盆,卓など板物が多い。加飾技法のうち,もっとも特色があるものは唐塗(からぬり)である。これは青海(せいかい)源兵衛が創作したといわれ,色漆に卵白を混合した紋漆を特有の篦(へら)で塗って斑文をつけ,その上に各種の色漆を塗り重ねて研ぎ出したものである。そのほか菜種を蒔(ま)いてつくる七々子塗(ななこぬり),七々子塗の地に紗綾形(さやがた)と唐草をあしらった錦塗,炭粉を蒔いたつや消し地に光沢のある黒模様がはえる紋紗塗(もんしやぬり)などが行われている。堅牢で実用性に富んだ塗物として,津軽地方を代表する名産である。
執筆者:鈴木 規夫
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青森県弘前(ひろさき)市を中心に生産される変塗りの漆器。江戸前期の寛文(かんぶん)年間(1661~73)に津軽藩が若狭(わかさ)国(福井県)の塗師(ぬし)池田源兵衛を召し抱えたことから始まり、その後を継いだ子の源太郎がさらにその基礎を固めた。非常に堅固な塗り物であるため、別名「馬鹿(ばか)塗」の名でも親しまれている。製品は座卓、重箱、盆、椀(わん)、箸(はし)、茶道具など生活用具が主体で、素地(きじ)には県特産のヒバ材が用いられる。素地に生漆(きうるし)を塗って下地とし、さらに地(じ)の粉(こ)・米糊(こめのり)・砥(と)の粉と生漆を混ぜたものを繰り返し塗り重ねる本堅地造(ほんかたじづくり)の製法が行われる。1975年(昭和50)伝統的工芸品産業振興法の認定を受けて以来、地方産業振興の一翼を担っているが、基本となる認定技法の上(うわ)塗りは、古技法とよばれる唐塗(からぬり)のほかに、七々子(ななこ)塗、紋紗(もんしゃ)塗、錦(にしき)塗の四技法が用いられており、いずれも凹凸をつけた下地に彩(いろ)漆を塗り重ね、地元産の大清石砥石で研ぎ出して文様を表すものである。
[郷家忠臣]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…また商業の中心地として広い商圏をもっている。地場産業として,リンゴ加工や酒,みそ,しょうゆなどの食品工業があり,名産の津軽塗をはじめ,津軽焼,津軽こぎん(小衣),アケビづる細工などの伝統工芸も盛んである。春に弘前城跡の公園を中心に催される桜祭と夏に津軽地方一円で行われるねぷた祭(ねぶた)は最大の年中行事として全国に知られる。…
※「津軽塗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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